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☆☆『フィッシュストーリー』
ヴィヴィアン佐藤評☆☆
〜スケール感の「喪失」と伝えられる「沈黙」〜

伊坂幸太郎原作、中村義洋監督の『フィッシュストーリー』が公開中。
伊坂幸太郎独特の交錯する時間軸、キャラクター、台詞、ユーモア、正義感、、、そしてリレーの様に引き渡される「モノ」。彼自身、自分の作品を語るときよく使う「大風呂敷を広げた」ような作品。まさに。

言ってみればロバート・アルトマン(『ショート・カッツ』『プレタポルテ』)から始まった群像物ジャンルで、ポール・トーマス・アンダーソン(『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『マグノリア』)、クエンティン・タランティーノ(『パルプ・フィクション』『デス・プルーフinグラインドハウス』)、アレハンドロ・ゴンザレスイニャリトゥ(『バベル』『21グラム』)と同時代的感覚が伺える。しかしあくまでライトで喜劇的。彼(伊坂)の作品は小説という形式をとっているが、小説というよりかなり映像的だと言われている。あえて時間が一方向に流れる映像的宿命を文体で視覚的にまとめあげている。勿論、これは映画作品で中村監督は伊坂ワールドの最も良き理解者と言われる所以で、あまりにも卓越したセンス故、無名の職人の様でもある。中村監督の腕はすごい!!

さて、そのリレーとして受け継がれる「モノ」とは曲(レコード)。その発売当時泣かず飛ばずのレコードが40年後に世界を救うという荒唐無稽な展開。素晴らしい!(映画では出版されなかった本、外国人の様な顔をしている翻訳者を誤って雇ってしまった出版社の面接が発端としている)

そして映画の地球に直撃するかもしれない彗星の「危機」とは日本のとある商店街レベル!?  しかし、そのスケール感の「喪失」こそが伊坂ワールド真骨頂とも言える。大文字の世界ではなく、それは劇中登場するテレビ番組『ゴレンジャー』が守る、ブラウン管の中の「世界」なのである。それも決まった曜日・時間でしか見られない番組の話なのである(当時はビデオ録画がなかった)。

アルトマンならパリコレだったり、農薬散布。アンダーソンだったら空から降るカエル。タランティーノだったら強盗事件。イニャリトゥだったらら犬か心臓かライフルか、引き起こされる世界的テロか。

この伊坂作品ではその失われたスケール感の「世界」を救うための「曲(レコード)」。

火星探索機ボイジャーに搭載された地球の情報を詰め込んだ「レコード(記録)」が存在するという。それはいつか出会う宇宙人に向けての手紙である。

劇中売れないパンクバンド逆鱗のレコーディングの空間/時間の記録(レコード)そのものである。しかし本当に伝えたかったことは、レコードに残されなかった「静寂(沈黙)」。彼らの楽曲はその「静寂(沈黙)」の額縁となる。なんとも皮肉めいていて面白い。

映画『ユリシーズの瞳』で主人公映画監督Aの捜し求めていた世界最初のマナキス兄弟による映像作品。そこには結局何にも映っていなかった。
つねに原点というものは次元を超えて存在している、裏返っているのである。ネガとしての原点はその後何度も反復される。これが近代モデルニテの宿命とも言える。映画『ユリシーズの瞳』は何も映っていないものを探し求めるAによるモノローグ物語に対して、『フィッシュストーリー』は何も聞こえない音に変わってその時に耳に入る予期せぬ「音」が引き起こす物語。もしくは観客はその「静寂」の裏側を探し求める物語でもある。

売れなかったパンクバンドは早すぎたのではなく、たんにピストルズの前だったから売れなかったのだ。物事は原点を反復して初めて作品となる。この『フィッシュストーリー』もアルトマンの轍があるからこそここれほどまでに輝き、素晴らしいのかもしれない。


渋谷シネクイントにて上映中。
http://fishstory-movie.jp/

ヴィヴィアン佐藤(非建築家)

非建築家、アーティスト、ドラァククイーン、イラストレーター、文筆家、パーティイスト、、、と様々な顔を持つ。独自の哲学と美意識で東京を乗りこなす。その分裂的・断片的言動は東京では整合性を獲得している。。。なんちゃって。

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