★『ハルフウェイ』
ヴィヴィアン佐藤評★
人気脚本家・北川悦吏子初監督。岩井俊二、小林武史プロデュースの作品。北川監督は岩井俊二との関係をタモリと赤塚不二夫のそれに例えている。画面からはありありと岩井メソッド、岩井への敬意が伝わってくる。そして楽曲は小林武史・Salyu。そして舞台は学園。こうくれば誰でも『リリイ・シシュのすべて』を思い出さずにはいられないだろう。しかしあれほどぎりぎりな痛々しい世界を描いてしまった後に、もう爽やかなどこにでもいるような高校生を撮ることは出来るのだろうか。勿論『リリイ〜』も今の日本ではどこにでもある話である。
北川は当初、岩井に監督を打診したらしい。しかしかなり本人のビジョンが出来上がっていたし、岩井が本気でやるにはまだまだ練りや時間が必要だったのかもしれない。。。
北乃きい、岡田将生、成宮寛貴、大沢たかお、、ほとんどの台詞はアドリブだという。それによって自然な無理のないドキュメント風の色合いを出すことに成功したのだろう。。
誰にでも経験のある甘酸っぱい高校時代の思い出。世界は絶望的かつ神経症で満たされているだけではないのだ。注意してみれば、いたるところにこのようなささやかな花は咲いているのだ。
冒頭、シャボン玉が二個飛んでいる。二個ぶつかって割れるシーン。ぶつかる前に割れてしまうシーン。ひとつだけ飛んでいるシーン。人間の出逢いもこれらのシャボン玉と同じ様に物理的または科学的な要因にほぼ左右される。
恋愛という出逢ってしまった人間同士の内面の化学変化は、この小樽の地を染める紅葉や秋になり川を昇る深紅の鮭と同じ自然な現象とも言える。
この河原で囁き合う恋物語を、毎年小樽の大自然や白樺の木や大空は見てきているのである。
さすがに脚本は素晴らしく、二人の主人公が合わせ鏡のようにアドバイスをしてくれる大人がいる。。シンメトリーな構造。例えば二人が各々の自室から携帯で話し合うシーンがある。午後ヒロ(北乃)の部屋は西向きで太陽光で満ちている。一方、シュウ(岡田)の部屋は東向きで影に支配されている。同じ時間に話をしていて、同じ太陽が全く違う面を見せている。これは岩井ワールドの最大のテーマの一つ。ある事象において多面的に登場人物の数だけ受け止め方が存在することを提示している。時には「花火」、「お金」、「都市」「あるバンドのCD(曲)」、、、。すべてそのもの自体より周りから本質を描こうとする。今回のポスタースチールで、ひとつのiPodから主人公二人が同時に音楽を聞いているものがある。ひとつの事象を同時に二人が受け止める。この写真は象徴的である。
最近の他の映画では「もしも、、」という幾通りかの仮定が導入され、運命論が語られることが多い。しかし、現実は仮定など一切存在しえない。人生は一発撮りの一生分の長さの長回しワンカットなのだから。。。
psちなみに岩井さんは私の高校の先輩です。
『ハルフウェイ』(2009年/日本/85分/配給:シネカノン/(C)2009「ハルフウェイ」製作委員会)
ヴィヴィアン佐藤(非建築家)
非建築家、アーティスト、ドラァククイーン、イラストレーター、文筆家、パーティイスト、、、と様々な顔を持つ。独自の哲学と美意識で東京を乗りこなす。その分裂的・断片的言動は東京では整合性を獲得している。。。なんちゃって。