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★『PLASTIC CITY』
ヴィヴィアン佐藤評★ 

昨年のヴェネチア映画祭でコンペティション部門に出品されたオダギリジョーの主演新作『PLASTIC CITY』(3月ヒューマントラストシネマ渋谷、他公開)を見た。

南米ブラジル、日系人のキリン(オダギリジョー)は幼い頃にアマゾンでユダ(アンソニー・ウォン)に救い出され、育てられる。ユダはサンパウロの世界で最も大きなアジア系移民の街リベルダーデで闇稼業の黒幕として君臨。青年になったキリンは実の親子以上にユダを慕い、彼の命を狙う組織に歯向かっていく。。。
『長江哀歌』のジャ・ジャンクー監督の名撮影監督として世界に名を馳せていたユー・リクウァイ。ほかウォン・カーワイの『花様年華』の第二撮影監督としても参加していた。撮影監督出身とだけあって本当に映像が凄い!ここまで絵で見せる手腕は最近のアジア系の作家で目にすることはなく、ハードボイルド的な作品内容を台詞より何よりも映像で語り尽くしている。

ブラジルアマゾンのインディオに伝わる入れ墨(自ら施した外傷)がキリンの身体表面に蠢く。元々インディオの入れ墨は悪霊や悪魔・不吉なものから身を守る為に施されたもの。皮膚という表層に顕われたその文様はフィルムの上にも都市の上にも縦横無尽に奔走し、我々の視覚からどんどん逃れていく(誘っていく)。。。冒頭の都市の空撮は大都市の地表と人間の皮膚を同等なものとして語りかける。そして我々の「視線」そのものが入れ墨によって跳ね返されるインディオにとっての「不吉なもの」という事が明かされる。

ユダ役のアンソニー・ウォンの存在感は往年の三船敏郎を思わせる気迫。久々に濃い香港系ヤクザ映画を見た。
監督のプラスティック(合成樹脂の様な薄膜・皮膜)に対する感覚。キリンの皮膚から猥雑な街、そしてジャングルまでそのどこまでも表層にこだわり続ける皮膚感覚は表面的であればあるほど、その精神性は深いところから沸き上がって来る事がよく分かる。そしてその自ら施された外傷(入れ墨)は男たちの生き様にも南米の歴史にも共鳴しているはずだ。
プラスティックの原料は化石燃料の原油。19世紀以降の人類の代表的なエネルギー源でもある。人類の発展/進歩には欠かせないものでもあり、また近年の自然環境破壊の根源でもある。この矛盾を含んだ大きな潮流は人類の原罪の歴史の様にも映る。緑の深いアマゾンから大都市サンパウロまで往復される映像は、我々の自我の「理性」と「本能」が流れる人類の川自身である。
http://www.plasticcity.jp/

ヴィヴィアン佐藤(非建築家)

非建築家、アーティスト、ドラァククイーン、イラストレーター、文筆家、パーティイスト、、、と様々な顔を持つ。独自の哲学と美意識で東京を乗りこなす。その分裂的・断片的言動は東京では整合性を獲得している。。。なんちゃって。

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