ドキュメンタリー映画『いのちの食べかた』
と熊楠の宇宙
渋谷イメージフォーラムで密かに熱く大ブレイクして大入り満員を記録 している異色のドキュメンタリー映画『いのちの食べかた』。
昨年は食べ物のニュースの事件が世間を賑わせていた。賞味期限、虚偽 牛肉問題、養殖うなぎ、比内鶏、白★恋人、★福、★兆、、、ときりが ない。またテレビの話題でもロハス、スローフード、砂漠化、食料不 足、地産地消、、、それらのテレビ番組を作っているのは利益それこそ 利潤を第一と考える大企業。そしてCMのあとは大喰い競争。。。 とお笑いよりもおかしいテレビ業界でもある。
コンビニやスーパーの弁当や食材は賞味期限があり、それを一日でも越 すと廃棄される。飽食日本ならではの悩みで弁当や食材は廃棄処分費を 見越して値段設定されてもいる。。。
『いのちの食べかた』はアーストリア人ニコラウス・ゲルハルター監督 の作品。
鳥や豚や牛が次々とベルトコンベヤーで廻されながら、羽をむしられ、 首を切られ、内蔵を滝の様に流していく。。。そういった光景を何の解 説もナレーションもなく固定カメラで淡々と撮影されていく。そしてそ こで働いている従業員たちは何のためらいも臆するところもなく淡々と ルーティーンをこなしていく。
同様に畑で採れた穀物や野菜、果物も同じ。大量の農薬がセスナで散布 されていくわ、、、。
毎日私達が食べている食材は一体どのように生まれ、育てられスーパー や食卓に並べられるのか。それを知らなくてはいけない。
これを見て、そこで働いている人々の感情のなさに寒気を覚えたり非難 したり、次々と殺されていく動物たちに感情移入している場合ではないわ。単純に動物が可哀想、だとか短絡的なLOHAS思考により脱サ ラして田舎での自給自足を唱えるべきでもない。
また原始や未開(未開ってどういう意味?)の人々なら動物を必要なだ け殺めて食べても良い、毛皮を剥いで着ても良い、、、それは彼らが日 常的に必要だから?でもそれは別の次元からアタシたちが高みから見下 ろして言っているに過ぎないのではないかしら。 アタシたち都会人は ベジタリアンになってフリースを着れば良い?アタシたちは指針を失っ た、コンパスを無くした登山家なのかしら?本能を無くし去勢された動 物なの?生きることは不条理に満ち、切ないことなのよね。
渋谷のマ★ドナルドのギュウギュウに混雑したカウンター席で、挟まれ た薄い二枚のパンより薄いミートパーティのホルスタイン、どこの部分 か分からないチキンナゲットのブロイラーを食べながら想いを馳せ る。。。 一体食材かアタシ達か、どちらが養殖のブロイラーかホルス タインか?分からなくなっちゃうわね。。。
よく映画のエンドクレジットに「この映画の中で動物は一切、危害を加 えられておりません」と注意書きがあるけれど、現実は全くの逆で、ほ かの生き物に危害を加えなくては人間は生きていけないのよね。
そしてもう一つ。日本にはじめて「エコロジー」という概念を持ち込ん だ細菌学者南方熊楠。彼の生涯にわたる活動業績を紹介する展覧会が外 苑前のワタリウム美術館で開かれているわ。必見。
「南方熊楠の見た夢 クマグスの森展」公式サイト:http://www.watarium.co.jp/
1867年に和歌山で生まれ、19歳からアメリカ、南米、ロンドンと 各地を14年間放浪し、和歌山に戻り那智山周辺の隠花植物の調査を始める。
同時にフィールドワークとして夢の調査、自身の身体を使っての身体 論、にほんの社会のタブー論、民族現象、カニバリズムなどありとあら ゆる事象を研究。タブー論では柳田邦男と真っ向から対立する事実も判 明。そして粘菌、海藻、昆虫などの研究を那智で深めていく。。。彼の キノコのスケッチが400点も展示され、博物学者、民族学者、植物学 者としての彼の印象ではなくそれらを全て繋げられたコスモロジーを見る事が出来る。
編集工学の松岡正剛氏は一連の日本の食に関する問題/矛盾と熊楠の研 究を比べ、自然界には「賞味期限」は存在しない。「賞味期限」とは一 体誰が何のために考えた言葉なのか?そして熊楠の賞味期限は未だ切れ ていないと結論づけた。
ゲストブロガー/ヴィヴィアン佐藤さん |
ヴィヴィアン佐藤(非建築家)
非建築家、アーティスト、ドラァククイーン、イラストレーター、文筆家、パーティイスト、、、と様々な顔を持つ。独自の哲学と美意識で東京を乗りこなす。その分裂的・断片的言動は東京では整合性を獲得している。。。なんちゃって。