駅中心地区と連携する「東口エリアの再開発全体像」 まちづくりの第2ステージ始まる
数年前まで「渋谷駅東口エリア」といえば、JR山手線の西側にある「ハチ公前広場」「渋谷スクランブル交差点」側のB面のようなイメージが強かった。SHIBUYA109や渋谷パルコなど集客力の高い商業施設は「ハチ公前広場」側にほぼ集積し、「渋谷駅東口エリア=渋谷の裏側」としてやや地味な存在であった。そのイメージが大きく変化したのは、2012年の「渋谷ヒカリエ」オープンから。東京メトロや東急東横線、田園都市線など地下鉄渋谷駅の直上に立つランドマークの誕生は、東口への送客と回遊を促進する起点となった。その後、2018年、渋谷川沿い東横線の地上線路跡地に「渋谷ストリーム」、2019年に「渋谷スクランブルスクエア東棟」、さらに2020年には「MIYASHITA PARK」が続き「渋谷ヒカリエ」オープンから10年で渋谷駅東口エリアはまるで別の街のような変貌を遂げ、渋谷の人の流れそのものを大きく変えた。
この10年間の渋谷の再開発工事は「渋谷駅中心地区」がメインであり、「まちづくりの第1ステージ」と位置付けられる。もちろん、2027年まで「渋谷スクランブルスクエア東棟」に隣接する形で、「中央棟」「西棟」の建設が計画されており、まだまだ渋谷駅中心地区の再開発工事は続く。が、同時に今後は駅だけではなく、駅中心地区と連携する周辺エリアの再開発も続々と動き始める。いわば、「まちづくりの第2ステージ」の始まりだ。
そこで今回の記事では渋谷駅中心地区と連携する、今後の東口エリアで計画されている再開発の全体像を俯瞰して捉えてみたいと思う。
上記のマップを見てほしい。グレー色の(1)は「渋谷ヒカリエ」、(2)は「MIYASHITA PARKと既に開業している施設で、その建物をランドマークとして見ると、今後どのあたりで再開発計画が進んでいくのか把握しやすいだろう。
では順番に各エリアの再開発計画を見ていこう
渋谷駅と青山通りを結ぶ、高さ約123mの「渋谷二丁目17地区」
まず、黒線が囲む(3)は「渋谷二丁目17地区市街地再開発事業」だ。青山通り沿いのシオノギ渋谷ビル(1980年竣工)、渋谷アイビスビル(1961年竣工、1984年増築)、渋谷東宝ビル(1971年竣工)、太陽生命渋谷ビル(1968年竣工)の計4棟を約120メートル、地上23階建ての複合施設一棟に建て替える計画である。
敷地面積は約3460平方メートル(延床面積 約44500平方メートル)。1階〜4階の低層部は、路面のにぎわいや憩い空間を創出するため商業機能や広場などを設け、5階〜23階はオフィス(総賃貸面積約24925平方メートル)となる。
また、渋谷ヒカリエ3階から同ビル2階には「歩行者デッキ」が伸び、さらに青山通り側では同ビル2階から渋谷クロスタワーまで既存の「歩道橋(金王坂下歩道橋)」でつながる。
この歩行者ネットワークの整備に伴い、渋谷駅から渋谷ヒカリエを経由し、渋谷2,3丁目方面へのアクセスが抜群に良くなる。2021年12月から既に着工が始まっており、竣工は2年後の2024年5月の予定である。
延べ面積32万平米、大規模再開発「渋谷二丁目西地区」
赤点線が囲む(4)は、東京建物、UR都市機構が計画を進める「渋谷二丁目西地区」だ。同再開発エリアは、宮益坂上のガソリンスタンド「ENEOS」がある「A街区(敷地面積 約170平方メートル)」、渋谷教会やサクラ・フルール青山、みづほ銀行事務センターなどがある「B街区(約12800平方メートル)」、東京建物が所有する東建インターナショナルビル、東建・長井ビルがある「C街区(4300平方メートル)」の計18万800平方メートル(延べ面積32万2200平方メートル)に及び、渋谷の再開発の中でもかなり大型の案件となる。
渋谷駅と青山方面、渋谷駅と六本木方面をつなぐ同計画地は、近くに青山学院、実践女子大学などの文教施設があり、通学・通勤需要の高いエリアである一方、主だった商業施設や商店の集積はほとんどなく駅近ながら街の賑わいはない。こうした背景には、渋谷駅から約15メートル高い坂上に立地する「高低差バリア」があること。さらに青山通りと六本木通りの2つの幹線道路に囲まれた「デルタ地帯」を形成し、歩行者動線が分断されている点も理由として挙げられる。
こうした課題解決を目指し、都市再生プロジェクトとして提案された同計画では、首都高3号渋谷線の出入口に近い立地から、観光バスや空港バスなどの受け入れが可能な「バスターミナルの整備」、幹線道路で分断されてきた駅方面との「歩行者ネットワークの整備」、にぎわいと憩いの核となる「広場空間の創出」など、駅中心地と連携する東口エリア周縁の都市基盤整備を目指すという。
具体的には、まずA街区に高さ50メートル、地下1階地上5階建ての店舗などが入る新ランドマーク(約4200平方メートル)が誕生する。青山から渋谷方面に開けた立地を生かし、傾斜した階段状の「上空広場」を持つ施設を建て、公開空地として地域に開放するほか、様々なイベント活用も想定する。かなり個性的なデザインで、宮益坂の新たなシンボル、賑わい創出の「核」としていく。
B街区は高さ約208メートル、地下4階地上42階建ての複合施設(約25万5000平方メートル)となる。地下スペースに空港リムジンバス、高速乗合バス、観光貸切バスなど発着約5バース(乗降場)のスペースを整備。ちなみに現在、渋谷マークシティバス乗り場で発着2バース、渋谷フクラスで1バースであるため、実現すれば一気にキャパシティが倍増する。1、2階は店舗、3〜4階には次世代イノベーション創出に向けたアカデミア人材の育成拠点として、「インキュベーションスペース」や「国際カンファレンスが開催できるスペース」の整備を行う。4〜11階は、外国人観光客やビジネスニーズに対応する「ホテル」、上層部は「オフィススペース」となる。
C街区は高さ約175メ―トル、地下2階地上41階建ての住居施設(約6万3000平方メートル)。高度人材や外国人ビジネスワーカーのライフスタイルに対応する「賃貸住宅」。低層部には外国人対応の「幼児施設」を設けるほか、多言語対応コンセルジュ等の付帯サ―ビスも整備するという。
今後、2022年3月までに国家戦略特別区域認定を受け、正式に「渋谷二丁目西地区市街地再開発組合」を設立する見込み。着工は2025年度、竣工は2029年度予定。
「宮益地区」も準備組合が立ち上がる
赤点線が囲む(5)の「宮益坂地区」でも再開発準備組合が立ち上がっている。渋谷駅東口の駅前、明治通りと宮益坂が交わる交差点を中心とした一角。多方面からのアクセスの良い角地であることはもちろん、「駅前の一等立地」としても文句のつけようがない。
江戸時代中期以降から宮益坂は「大山街道」と呼ばれ、赤坂御門から足柄峠へと至る参拝路一部として大いに賑わった。渋谷スクランブル交差点に屹立するQ-Frontに匹敵する渋谷駅東口エリアの新たな「顔」が、この宮益坂下交差点に誕生しても決して不思議ではないだろう。まだ具体的な計画は見えないが、今後の動きが気になるところだ。
児童会館や渋谷小学校のDNAを引き継ぐ「渋谷一丁目地区」
最後に緑色で囲んだ(6)は、東京都児童会館跡地と、隣接する渋谷区役所仮庁舎跡地(渋谷区立美竹公園を含む)を一体的に再開発する「都市再生ステップアップ・プロジェクト(渋谷地区)渋谷一丁目地区共同開発事業」だ。同プロジェクトの第一弾では「宮下町アパート跡地事業」が進められ、2015年に「渋谷キャスト」が開業した。
第2弾となる今回のプロジェクトでは、東京都と渋谷区の共同開発事業として、昨年(令和3年)10月、公募型プロポーザル方式により民間事業者から提案書の受付を実施。今年(令和4年)3月までに事業予定者が決定するスケジュールとなっている。
歴史を振り返れば、同再開発エリアは1947(昭和22)年まで、皇族・梨本宮家(なしもとのみやけ)の大邸宅の一部だった。梨本宮家の邸宅の下の方に位置する地域は「宮下町」という地名で呼ばれ、「宮下公園」という名称はその名残だ。戦後、GHQからの指令で財産税の納付を求められ、梨本宮家の本邸の土地も処分を余儀なくされた。1951(昭和26)年から1992(平成4)年まで区立渋谷小学校、その後、渋谷区ケアコミュニティ美竹の丘、区民菜園などに使われたのち、区役所仮庁舎第一庁舎として利用された。一方で東京都が所有する敷地は、1964(昭和39)年から2012(平成24)年まで、東京都児童会館として使われたのち、渋谷区仮庁舎第二、第三庁舎として利用された。「宮家邸宅」→「小学校」「児童館」→「渋谷区仮庁舎」と同エリアは歴史的にも由緒ある土地であることがわかる。
都市再生ステップアップ・プロジェクトの第二弾の誘導目標は、「渋谷・青山・原宿を結ぶ人の流れを創出し、生活文化やファッション産業の発信拠点を形成」。再開発ではそれを前提にしながら、東京都児童会館の歴史を踏まえた「育成機能の導入」、旧渋谷小学校の体育館が果たしてきた「地域コミュニティ形成に寄与する空間」や、美竹公園の再整備による「憩いの場の創出」、災害時における被災者や帰宅困難者への支援等による「高度な防災機能の整備」を含めた提案を民間事業者から求めている。敷地面積は約9,670平方メートル。
今年(令和4年)3月までに事業者が決定し、建築計画が明らかとなる。東京都児童会館や渋谷小学校のDNAをどう受け継ぐのだろうか。期待して発表を待ちたい。
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