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都心とは思えぬほど、のどかな光景が広がる代々木公園。しかし、過去には練兵場や米軍基地、さらにオリンピックの選手村など、さまざまな用途で利用されてきた経緯がある。その歴史を紐解くと、このエリアが日本の戦後復興、経済発展の“起点”として、重要な役割を果たしてきたことが見えてくる。のどかな光景が一変、軍靴が響き渡るエリアへ

東京のど真ん中にもかかわらず、広々としたスペースに森林が生い茂る代々木公園は、まさに「都会のオアシス」という呼称がぴったり。春には桜が咲き乱れ、秋にはもみじやイチョウの葉が色づくなど、都会暮らしのなかでは忘れがちな季節感にあふれ、四季を通じて憩いのひとときを過ごす人々で賑わっている。だが、この公園が紆余曲折の歴史を歩んできたことを知る人は、意外と少ないようだ。明治時代にさかのぼってみよう。小説家の田山花袋の短編『丘の上の野』には、「渋谷の丘の上」(現在の渋谷区役所とNHK放送センターの間のあたり)に住む国木田独歩の家を訪ね歩くシーンがある。「渋谷の通を野に出ると、駒場に通ずる大きな路が楢林について曲つてゐて、向うに野川のうねうねと田圃の中を流れてゐるのが見え、その此方の下流には、水車がかゝつて頻りに動いているのが見えた」その後も、「茶畑や大根畑に添つて歩く」「五六頭の牛がごろごろしてゐる」など、今では想像するのも難しい、武蔵野ののどかな光景を綴った描写が続く。

日本航空發始之碑(左:日野熊蔵氏 右:徳川好敏氏)

日本の航空発祥の地

ところが、国木田独歩が亡くなった翌年の1909(明治42)年、その光景は大きく変わる。代々木練兵場が造られて、軍事教練が行われるようになったのだ。翌年の1910(明治43)年には、徳川好敏陸軍大尉(徳川将軍家の支流である清水徳川家の当主)が日本初の航空機の飛行に成功。使用した航空機はフランス製アンリ・ファルマン機で、高度70m、距離3000m、4分間という記録だった。現在、園内に立つ好敏の銅像の隣にあるもう一体は、代々木練兵場で好敏と一緒に航空機の飛行実験を行った日野熊蔵だ。この実験成功を機に国産飛行機の開発が進み、やがて第二次大戦での主力機・零戦の開発に成功するなど、日本には航空機産業が花開き、「大航空時代」が到来する。その起点が代々木公園であることを、園内にたたずむ記念碑「日本航空發始之碑」が今に伝えている。

東京オリンピックを起点に憩いの公園に変身

昭和30年、ワシントン・ハイツから出入りするアメリカ車
(白根記念渋谷区郷土博物館・文学館所蔵)

日本の敗戦により、またしてもこの地の光景は一変する。代々木練兵場が米軍に接収され、将校家族の宿舎「ワシントン・ハイツ」が建設されたのだ。戦後の物資不足のなか、ワシントン・ハイツの建設は最優先され、92ha(27万坪)の敷地には白いペンキ塗りの戸建てが827戸、さらに学校や教会、劇場、マーケットなどがそろい、アメリカの小さな町をそのまま移転したかのような光景が広がっていたという。とはいえ、日本人には、全く無縁の空間だった。父親の代から60年近くにわたり、代々木八幡駅近くで蕎麦店を経営する大野敏郎さんは1943(昭和18)年の生まれ。「丘の上にあるから、カマボコ兵舎の屋根がチラリと見えるだけで、他には何も見えないんですよ。出入り口には銃を持った兵隊が立っているから怖くて近づけなかったし。『あの中には何があるのかなぁ』なんて、想像をたくましくしていました。ただ、出入りする大きく派手なアメリカ車には、憧れがありましたね」と、子どもの頃を振り返る。

オリンピックの選手村に利用

故・丹下健三氏デザインで有名な代々木競技場

日本の復興が進むに伴い、首都の真ん中にある基地、ワシントン・ハイツの返還を求める声が高まったのは、当然の成り行きだ。ところが、基地の移転費などを巡って、日本政府とアメリカ側との条件が折り合わず、なかなか交渉は進まなかった。そんな折、1964(昭和39)年の東京オリンピックの招致が決まった。広大な土地を要する選手村・競技場を確保するために、日本政府もようやく重い腰を上げ、ワシントン・ハイツの返還の時期が早まったと言われている。故丹下健三さんの設計により、現在でも世界的に名高い吊り構造の代々木国立屋内総合競技場が生み出されるなど、オリンピックは日本の復興をアピールするとともに、経済や技術力のさらなる飛躍をもたらす起点にもなった。オリンピック後、選手村は森林公園として開放されることになり、東京都は設計プランを一般公募。だが、一等は該当作品がなく、結局、都が設計して今日の代々木公園が形作られた。「こんなに近くに住んでいるのに、大人になって初めて足を踏み入れたのですから、何だか不思議な気分ですね。今は孫と一緒に、しょっちゅう散歩していますよ」と、大野さん。さまざまな変遷を遂げながら、今は都会のなかの貴重な空間として、老若男女の心を和ませている。


春になると数多くの花見客で賑わう

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そば處 大野屋
この地で60年前から営業を続ける老舗。そばやうどん、つゆなどはすべて自家製。徒歩数分の場所に姉妹店の富ヶ谷店がある。

住所:渋谷区元代々木町3-10  TEL:03-3467-7513
営業時間:11:20〜15:00、17:00〜21:00(土曜は昼のみ営業、日曜・祝日休業)