昔ながらの商店街の雰囲気を残す閑静な環境に、落ち着きがありセンスの光るギャラリー・カフェなどが点在する神山通り。渋谷を使い慣れた人々から「奥渋谷」などと呼ばれ、古くからの住人に親しまれているこのエリアの歴史と魅力を追った。
渋谷駅前から109を右方向へ進み、東急百貨店本店にぶつかったら、Y字路を右に進む。そのまま歩いて、シアター・レストラン・ライブスペースの複合施設「アップリンク」を過ぎたあたりが神山通りの入り口だ。このエリアは魚屋や米屋といった昔ながらの商店が営業を続ける静かな商店街といった風情。道幅が狭く、一方通行という交通事情もあって、道玄坂など他のエリアと比べると、交通量、人通りともに少なく歩きやすい。そんなのんびりとした環境のなか、所々に思わず足を止めたくなる洒落た雰囲気のギャラリー・カフェなどが点在し、「奥渋谷」「裏渋谷」といった呼称で、渋谷を使い慣れた人たちに親しまれているエリアだ。
この地域は、1923(大正12)年の関東大震災で被災した人々が渋谷の中心部などから集まったことで人家や商店が増え始めたといわれている。同様に、第二次大戦の空襲から逃れてきた人々も、比較的、土地に余裕のあった神山町の辺りに集まった。戦前から青山学院大学の目の前で魚屋を営んでいた「魚力」が、戦災によって神山通りに移転したのは、三代目ご主人である鈴木力さんが5歳の頃だった。鈴木さんは、「この家の周りには、小川や崖や空き地などがあって、遊び場には不自由しませんでした。宇田川にはカワセミが巣を作って飛び回っていた記憶がありますね」と、当時の様子を振り返る。
NHKの移転で決定的な変化
現在「神山通り」と呼ばれている通りは、当時はこのあたりの古い地名をとって、大向通りと呼ばれていた。東急百貨店本店のある場所には、かつては渋谷区立大向小学校があったが、1997(平成9)年、人口の減少によって区内の別の2校と統合されて、現在は神南小学校となっている。また、神山通りは、一方通行の出口に東急百貨店本店があることから、東急本店通りと呼ばれることもある。
鈴木さんが神山通りに移ってから、戦後の復興に加え、1964(昭和39)年の東京オリンピックを機に宇田川が暗渠化されて遊歩道になるなど、徐々に景色が変わっていった。そんななか、神山通りに決定的な変化をもたらしたのが、1973(昭和48)年、井の頭通りを挟んだ向かいにNHK放送センターが移転して来たことだ。以来、このエリアには、テレビ番組の制作会社やスタジオ、美術、大道具・小道具、CG、テロップなど、番組制作に関連した会社が集まり、「クリエイティブ・ビレッジ」としての顔を持つようになる。
NHKの移転に伴い、神山通りを行き交う人々も変化する。「それまでは地元の住人くらいしか歩いていなかったのに、NHKの職員やテレビ業界の人の姿が目立つようになりました」と、鈴木さん。そのため、ランチ需要が生まれて、しだいに定食屋や蕎麦屋が増え、ランチ激戦区の様相を呈するようになった。当初は魚屋のみの営業だった魚力も20年ほど前から定食を出している。「せっかく沢山の魚があるのだから、ご飯と味噌汁を出せば、きっと喜んでもらえるはず」という女将さんの発案だったそうだ。今では、昼夜ともにNHK関係者、また評判を聞き付けた若者など、幅広い客層で賑わっている。
また、意外と知られていないが、神山町は蕎麦屋が密集するエリアでもある。老舗の「おくむら」に加え、2006(平成18)年1月に「清山」がオープンして以来、「聞弦坊(もんげんぼう)」、「日和」と、立て続けに新たな蕎麦屋がオープン。ランチタイムはもちろん、道玄坂などの繁華街の喧騒を離れ、ひっそりとした場所のなかで日本酒や焼酎を楽しみたいという客層にも人気のようだ。
下町の雰囲気を残す街並み
また、隣接する富ヶ谷にイッセイミヤケの本社が移転して来た2000(平成12)年頃から、「徐々にファッション関連のお店が増えている」(鈴木さん)そうだ。とはいえ、60年来、神山通りに居を構え、商いを続ける鈴木さんからすれば、「渋谷の他の地域に比べて、神山通りはほとんど変わっていないのでは」とのこと。建物の建て替えなどはあっても、大規模なビルや商業施設は少なく、魚力以外にも、戦後すぐに営業を始めた商店もまだ数軒残っている。風景の移り変わりの早い渋谷にあって、昔ながらの光景が息づく“下町”の雰囲気を残す貴重なエリアだ。
鈴木力さん 1943年、渋谷区神山町生まれ。明治以来、親子代々続く魚屋「魚力」三代目主人、定食屋「魚力」主人。 |