Shibuya became musically very freedom
Music festival seems to Shibuya town has become one event
1959, Fujisawa, Kanagawa Prefecture was born. 1981, solo debut album, "take a break" by the self-produced during the Keio University student. 15 sheets solo album to date, and announced the two albums by the Fusion unit "PYRAMID". One of the TBS documentary program, which started in 1996, the theme song of "World Heritage", "The Song of Life" is a representative song. Furthermore Seiko and Takuro Yoshida Matsuda as arranger and producer, Taro Hakase, in addition to working on such as Sharan Q, expand the production, such as a variety of musical activities of the soundtracks of movies and games.
--最初に渋谷を訪れた記憶は?
4歳のときかな。祖母と一緒に五島プラネタリウムに来たのを覚えています。車両がまだ緑色だった東横線に乗って。僕は両親が疎開を機に移住した藤沢市で生まれ育ちましたが、もともと一族の拠点が品川で、小さい頃から東京に出ることが多く、渋谷にもよく連れられて来ました。自分の意思で来るようになるのは、中学生になってから。中学から慶応で、田町駅から山手線に乗って、週3回くらいは来ていたんじゃないかと。当時は、アイビーが2度目の全盛を迎えていた頃で、渋谷の街はまさにアイビー一色。センター街の入口にはVANのマークを大きく掲げた「NOW」というショップがありました……懐かしいですね。KENTやREGALも扱っているショップで、ほんと、ここには死ぬほど通いましたよ(笑)。ボタンダウンシャツやデッキシューズが欲しいのですが、中学生だからお小遣いをかなり貯めないと買えない。だけど、まったく手が出ないというほどでもなくて。「今日は○○君がボタンダウンシャツを買いに行くから付き合うか」とか。そういう毎日でした(笑)
--それほど渋谷に引き付けられたのは、どうしてでしょうか。
とにかくお洒落な街でしたからね。特に今よりもずっと「大人の街」だったことに引き付けられたのでしょう。僕らって「早く大人になりたい」と、背伸びをする世代だったんですよ。「ずっと子どものままでいたい」という風潮って、ここ20年くらいで生まれたんじゃないでしょうか。大学生のお兄さんには異常な憧れを持っていましたから、『MEN'S CLUB』の誌面から飛び出したような大人が闊歩する渋谷には、そりゃ引かれますよ。よく覚えているのが、渋谷公園通りにあった「ブールミッシュ」。マドレーヌとかフィナンシェを置くカフェで、森繁久彌さんとか演劇系の人たちがよくコーヒーを飲んでおり、完全に「子どもは入っちゃダメよ」という雰囲気でした。なぜ記憶に残っているかといえば、中学2年生のときに初めてデートをした場所なので(笑)。同じく公演通りにあった喫茶店「マ・ビー」も美容部員とか、当時の言葉で言うとハウスマヌカンたちが集まって一種スノッブな雰囲気があり、背伸びをしたい気分のときによく行きました。あと、中学2年生くらいからは、渋谷にレコードを買うという目的も強まりましたね。
--中学・高校時代はどのような音楽を聴かれていたのでしょうか。
かなり並列的に聴いていたと思いますよ。完全な洋楽志向で、モータウンのマーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダー、バリー・ホワイトなどR&Bやソウルを聴く一方で、エリック・クラプトンやジェフ・ベック、レッド・ツェッペリンといったブリティッシュ・ロックも大好きでした。それから、グランド・ファンク・レイルロードなど、ちょっと粗野な感じのアメリカン・ロックも。ものすごい衝撃だったのが、1975年、高校1年のときに聴いたジェフ・ベック初のインストゥルメンタルアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』。これは今で言うフュージョンやクロスオーバーの原点といった音楽で、プロデューサーはビートルズなどを手がけたジョージ・マーティン。たった一枚のアルバムで一つのジャンルをつくり上げたと言っても過言ではないほどの作品で、本当に大げさではなく、プロもアマもこれを聴いてぶっ飛びました。僕もその一人で、本当に大きな影響を受けましたよ。
--当時、渋谷では、どのようなレコード店や楽器店に行かれていましたか。
中学時代は、もっぱら道玄坂にあったヤマハ。当時はレコードも楽器屋で買うことが多かったですね。あとは、渋谷ジァンジァンの隣に空き地があって、土日に米軍キャンプの払い下げ品をフリーマーケットみたいに売っていたんです。たぶんベトナム戦争が終わって物資を持て余したのでしょう、本物のフライトジャケットなどに混じってアナログレコードもよく置かれており、それを目当てに行っていました。お店にはあまり置かれていないレコードがたくさんあったので。渋谷が音楽的に変わっていったのは、先ほどお話した『ブロウ・バイ・ブロウ』が出る前後から。特にESPというギター専門店や石橋楽器ができたのが大きかったですね。この頃にはどっぷりとロックに浸かっていたから、ファッションも中学のときのようにアイビーなどと可愛いことは言わず、バギーパンツやウエスタンシャツなど一気に汚い格好へ――。この頃、渋谷の街もフォークからロックへと、音楽やファッションがリンクしながら変わっていったように思えます。ちょうど、PARCOなんかもでき始め、僕にとっては本当に面白い時期でした。
--最近、渋谷の中でよく行く場所は?
ファイヤーストリートや、東急本店前の通りなどですね。映画館のアップリンクのあたりはとても良い雰囲気。カフェで過ごすのも落ち着きますね。逆にセンター街のあたりは、あまり行かなくなりました。以前のように街全体を歩くのではなく、目的を持って限られたエリアやショップに直行する感じになりましたね。
--最近の渋谷の動きは、どのように捉えていますか。
もともと渋谷は、東急と西武が良い意味で競争して、その動きに刺激されて街全体ができ上がっていったというイメージがあります。最近は不況の影響でその動きが弱まっている感があるものの、基本的には同じ構図で街なみが変化し続けているところは渋谷らしいですね。しかしその一方では、全国的に都市の画一化が進み、かつての渋谷の良さが失われつつあるのは残念ですね。例えば、高校時代、百軒店には、ストリップ劇場や名門ジャズ喫茶、老舗の料理店などが交じり合い、なかには「遺産級」の古い建物もちらほらありました。見た目は汚いけど、街に大切にされていたのでしょうね。それらと一緒にスノッブな喫茶店やファッション性の高いビルがうまく共存していたのがすごく面白かった。そういう街のバランスが取り戻されると良いんですけどね。
■ライブ情報
今年のテーマは「3 little words Campaign 2009」。相手への気持ちや心の姿勢を伝える大切な3つの言葉、「こんにちは」・「ありがとう」・「ごめんなさい」。この言葉を心から伝えることから繋がっていく人と人の輪、そして創造される未来。コミュニケーションを育み、世代や国境も越えて、みんなが笑顔で集える世の中になることへのきっかけへと願い、様々なジャンルの音楽、ダンス、アートが、渋谷のまちから発信されます。
鳥山好みVol.2
出 演:鳥山雄司(g)
ゲスト: 和泉宏隆(pf)、コモブチ キイチロウ(b)、露崎春女(vo)、則竹裕之(dr) (50音順)
■アルバム情報
「Guitarist」〜Solo Guitar AOR Cover Album〜
今年6月に「TORIYAMA」以来、約2年半振りとなるニューアルバム「Guitarist」が発売。全篇アコースティックギター、一切のオーバーダビング無しのソロプレイ。楽曲は全て80年代を中心としたAORのカヴァー。
2,500円(税込) UMCK-1309(ユニバーサルミュージック)
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