1948(昭和23)年、東京都生まれ。学習院大学経済学部経済学科卒業、三菱商事入社。1976(昭和51)年、デリカ(現ジャパンイマジネーション)入社。取締役営業部長、専務取締役、代表取締役専務を経て1990(平成2)年、代表取締役社長就任。
カジュアルファッションの聖地「SHIBUYA109」で常にトップを走り続けるブランドが「CECIL McBEE(セシルマクビー)」。東京ガールズコレクションにも積極的に取り組むジャパンイマジネーションの木村さんに、109の強さ、渋谷の街の魅力についてうかがいました。
--SHIBUYA109でのセシルマクビーの売り上げが好調ですね。背景には何があるのでしょうか?
109は13年前から今のような状態に変身を遂げましたが、セシルマクビーはそれよりもさらに10年ぐらい前からブランドとして存在していましたし、109には開店以来お世話になっています。3年前までは会社の名前もデリカで、30年前に109にお世話になったのもデリカというショップでした。その109が、今年おめでたいことに30周年を迎えるものですから、ものすごく長い歴史があるわけです。ただ、本当に今のようなかたちになったのは、私が「渋谷にセクシーカジュアルの突風が吹いた年」と言っている96年頃からだと思います。その頃から渋谷に若い女の子がどんどん集まってきて、彼女たちをこのビルに取り入れるリニューアルがどんどん始まりました。テナントもどんどん変わっていき、うちのような既存のテナントもそれに合わせて変身を遂げていきました。その前はソニープラザさんみたいな、それこそ売り場の広いテナントさんの売り上げが一番でしたが、何年か前から逆転しました。うちの売り場も昔に比べると広がったということもありますが…。セシルマクビーというよりも、やはり109の人気が持続しているのだと思います。この時勢にも関わらず現在も売り上げを伸ばしているショッピングセンターは、まず全国にないと思いますから。そのおかげです。
--ファッションの業界の96年はどのようなものでしたか。
渋谷のファッションがそこからスタートしました。大きく言えば、その前に原宿でもブームが起こりました。ファッションは、昔は、パリやニューヨークのコレクションやデザイナーがどういう傾向を発表したとか、そういう情報が1年とか半年遅れで日本にやって来て流行するものだったのです。そういう川上から情報が流れてくる感じが昔はありました。でも90年ぐらいから、ファッション情報は「逆流を始めた」と私は思っています。上から下へ流れるのではなくて、ファッションのトレンドがストリートから生まれる。原宿にはすでにそういう傾向があったと思いますが、そういう流れの中で渋谷に集まってきたお客さまが一つの流行の発信基地になった――それが96年前後だったんじゃないかと思います。原宿ではそうした流れが時々起こりますが、でもそれは常にローカルファッションとして、ローカルの傾向で終わってしまっていました。でも渋谷では、渋谷ローカルから完全に全国メジャーになっていったところが、今までのファッション業界に生まれてきたトレンドと決定的に違うことだと思います。正直に言えば、最初のうちはお父さん、お母さんがまゆをしかめるような、良識ある人なら「何だ、その格好は」というようなファッションだったと思います。でも、それが渋谷の特別な子たちのちょっと困ったファッションではなく、全国に広がってメジャーの一つの分野になっていった――それはすごいことだと思いますし、それが109というショッピングセンターをブランドにした力だと思います。
--なぜ渋谷から全国にトレンドを発信することができたと思いますか。
もちろん渋谷だからということもあると思いますが、逆に、たまたま渋谷で生まれたファッションが全国の幅広いお客さまの支持を受けるようなものだったっていうことでもあると思います。
--SHIBUYA109の強さはどのようなところにあるのでしょうか?
109の最大の特徴を一言で言うと「徹底した顧客志向」です。お客さまが欲しい商品をタイムリーに提供している。これは言うのは簡単ですが、ほかのショッピングセンターや専門店ではできないことです。誰だってお客さまの欲しい物を提供したいと思っていますが、意外とお客さまの声を素直に聞けないということがまず一つあります。次に、そのお客さまの声を聞けたとしても、それを実現させることはなかなか難しい。今までの会社とか同業の人たちの多くは、声は聞こえていましたが、実際にその通りにやる方法がないため、だんだん、そのお客様の声が何かわがままのように聞こえてしまっていたと思います。でも109に96年あたりから入った新しい専門店は、簡単にお客さまの声に応えてしまいました。109のビルもそうだし、そのとき集まってきた新しいテナントさんの発想の新しさとか努力が、この新しいビジネスモデルをつくったと思います。ちょっと外から見えないかもしれませんが、これがSHIBUYA109のイノベーションの中心です。具体的には、例えば韓国あたりに行って、1週間サイクルで商品を作ってしまうとか、そういうことです。
--そうしたものづくりの舞台裏には、何が必要でしたか?
今思えば、新規のテナントが既存のアパレルメーカーさんや専門店出身でなかったことが良かったのだと思います。今までの人たちだと、「それはできないよ」とか、「取引先との関係でそんなのは無理だよ」とか、そういう言い訳的なことになっていた可能性があります。96年あたりから入ってきた新しいテナントは、それまでの同業者に比べると、国境を越えてものづくりを考えることができるなど、フットワークがすごく軽い。どこにいても来週の日曜日に売る物ぐらい担いで持ってくるみたいな――そういう感じでやってきたので、お客さまの支持や共感を得られました。成功の秘訣と言えば、一番はそういうことになると思います。
--創業63年の会社が、そうした社風に変わってきた要因は何でしょう?
やはり109に居たことがラッキーでした。109の中は、売り上げの点でも何でも競争が激しい。そういう競争をしていく中でビルも変わってきましたし、入ってくるお客さまも変わってきました。そうすると、今までのデリカと同じ商品じゃ売れないとか、同じ売り方では売れないとか、そういう危機感の中で自分自身を変えていったのだと思います。うちにとっては本当に109様様。全ては109のおかげです。
--この10年間でセシルマクビーのお客さまは変わりましたか?
109の中ではそれほど変わっていないと思います。でも109自体も年齢がちょっと上がりました。一時は小学生が押し寄せてくるみたいなビルでしたが、最近はあまり子どもがいなくなってきました。もともとセシルマクビーのお客さまは20歳前後でした。若い子はもう少し上のフロアにいたと思いますが、この10年間で言えば109全体で1〜2歳ぐらいは年齢層が上がったかもしれません。セシルマクビーは13年続いているブランドですから、お客さまも徐々に年を重ねて、年齢の幅が広がったということは言えると思います。
--ベビーカーを押して店に来るお客さまもいらっしゃいますか?
それは場所によりますね。例えば、郊外のショッピングセンターみたいなところに出店すると30歳前後のお客さまも多くて、午前中は完全にベビーカーを押したお客さま。場所によってすごく違いますね。ただ、そうしたベビーカーを押してくるお客さまは、若い時に109でセシルマクビーを買っていただいたお客さまがずっと続いているのだと思います。ですから、やはりそれだけお客さまの幅も広がっていると言えると思います。
--場所によって年齢層が違うとのことですが、売れ筋も違うのでしょうか?
それが、売れる物は不思議と一緒なんです。基本的に、店によって商品は同じで、販売しているスタッフに聞くとやはり売れ筋は一緒だと言っています。うちはワンサイズなので、サイズが合わなくなるともう着られなくなります。だからベビーカーを引いてくるお母さんも、そういう点ではスタイルはいい。売れる物は変わらないそうです。
--もともと会社のスタートは新宿でしたね?
62年前にまず新宿でスタートして、支店1号店も今のルミネエストでした。ですから、どうしても「新宿のデリカさん」みたいな感じはあると思います。最初は伊勢丹の近くで路面店でしたが、それからルミネエスト(当時は新宿ステーションビル)ができて、その辺りから駅ビルとかファッションビルが一斉にできました。小田急さんも、東急さんの東急プラザが渋谷にできたのも、マイシティのおそらく1年か2年後だと思います。それから西武さんでは池袋パルコ。玉川の高島屋が日本の中のショッピングセンターの1号店というかたちで、次々にSCの時代になりました。そうした流れでうちも徐々に店が増えていったというのが、大ざっぱな歴史です。109ではオープン当初からお世話になっていますが、渋谷では、その前からパルコと東急プラザでお世話になっていました。