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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

プロフィール

1948年群馬県生まれ。法政大学中退後、広告プロダクションに入社。1972年、フリーのコピーライターとして活動を開始し、1975年にTCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞受賞。「不思議、大好き」「おいしい生活」(西武百貨店)など数多くのヒットコピーを生む。そのほかにも作詞、文筆、ゲーム製作などの創作活動も行う。1979年東京糸井重里事務所設立、1989年APEエイプ設立。1998年、インターネットホームページ「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設。1日の総アクセス数は140万件を越える。

今年6月で10周年を迎えた「ほぼ日刊イトイ新聞」。主宰するコピーライターの糸井重里さんは、いろいろな時代の渋谷を見つめてきた1人。女子高生が紡ぎだす言葉の位置から渋谷にあったら面白いものまで、糸井さんが抱く渋谷のイメージをうかがいました。

最近の街はどこも分類されきっちゃっているという感じ

--糸井さんが渋谷の街と最初に出会ったのはいつごろですか。

小学校の1年生とか、そういうころだと思います。学芸大学に親戚の家があって、そこに父親と行ったことがあって、そこから「子供は渋谷で遊んでおいで」ということで、電車に乗って行っていました。当時はちょうど開発がどんどん進んでいるときで、例えば東横百貨店とか、東急文化会館のプラネタリウムだとか、映画館だとか…そういうところで時間をつぶしていました。今思えば、街はあまり構われない子が「行ってこい」っていわれる場所(笑)でしたね。

--当時の渋谷は、どんな印象でしたか。

僕は東京の子じゃなかったので、全部をひっくるめて東京というふうに見ていて…。ほかの場所にいろいろ行くわけじゃないので、渋谷で味わった思い出が東京だと思っていました。多摩川や二子玉川の花火大会と、渋谷の都市化していっているにぎわいが一つのものになって、東京というのは絶えず面白いことがあるところなんだと意識していましたね。

--大学生の頃はいかがでしたか。

僕が学生になってからは、新宿の後に渋谷が伸びてきそうな気配がある時期でした。僕らの時代は新宿がメッカだったのですが、渋谷では堤さんが、どちらかというとアンダーグラウンドな文化をデパートの中に取り入れたりして…「カプセル」だとか、コシノジュンコさんだとか、そういうキャスティングがシブヤ西武に加わった頃です。その後は、あのパルコとかにつながるんですけど。「天井桟敷」も渋谷でしたね。渋谷は、アンダーグラウンドの次のサブカルチャーのシンボルみたいな、そんなふうに思えていました。印象深いのは、確か永六輔さんの俳号が「並木橋」だったんじゃないかな。ですから、並木橋というのが妙に頭に残っていました(笑)。

--それは、何となく「ポスト新宿」のような気配を感じる動きだったのですね。

はい。新宿にはエネルギーの総量が、渋谷の何百倍もあったんですよ。いいこと、悪いこと含めて…よく言う言い方ですけど「るつぼ」みたいな。平らな新宿に対して、渋谷は坂ですが、見通しがいいというか、全体をつかみやすいところがあって…。そうだ、道玄坂を上って右に曲がるとロック喫茶みたいなものがあったりして、あの辺では、新宿では店を出さないで渋谷でやっていこうとする、そういう若い人は渋谷にもう来始めていたという印象があります。後で「天場桟敷」がなくなってから、その場所を見たら、「え!これが、あの有名な?」っていうぐらい小さい。つまり、文化の発信って物理的な面積とか体積じゃないんですが、地方の子は過剰に大きくイメージしているんですね。僕なんかはもう典型的にそれで、「ガロ」の青林堂が大きい会社だと思っていました。唐さんのテントにしても、寺山さんの「天井桟敷」にしても、ちっちゃいものなんですよね。それが、やっぱり全国にいる人たちを引き付けたんだから。

--最近渋谷を歩いてみて、どんなことを感じますか。

うーん。何ていうんだろう、分類されきっちゃっているという感じは、渋谷に限らずどこの街に行ってもあります。ここはどういう場所、ここはどういう店。俯瞰してエリアに名前を付けられるような、インターネットの地図を見ているみたいな、そういうつまらなさはありますね。もっと歩く速度でキョロキョロしたときに、いちいち不意を突いて何か現れたり、ここは知らないぞという所に行き着いたり、そういうことが、街ってもっとあったような気がするのですが。地面の上を歩いている人も俯瞰で歩いているような、整理・統合・分類、そういうものがみんなできている気がして、そこはつまらないですね。ヌメヌメしていないんですよね。渋谷もそうです。どこに行った、何があるっていうのを、知っている場所から知ってる場所に、線でつないで歩いてますからね。

--渋谷で女子高生が生み出す言葉は、どんな風にご覧になっていますか。

言葉は、変化したり、そのグループごとに瞬間的に現れる言葉があったり…空気とか、においみたいなものとそっくりで、染まったりもするものです。街に珍しいものがなくなった分を、演じてカバーしようとしているのがあの子たちじゃないでしょうか。いろんな新しいファッションは、自分のためでもあるのですが、自分と友達のためだったりもします。自分と友達が、ほかの人たちからどういう風に浮いて見えるかというのが、いわゆる社会と自分たちを区別する材料。そうやって演技してくれる、いわば「踊ってくれている」おかげで、街に足りなかった違和感が、人間と人間との間で、お互い風景として見るならば生み出せます。その意味では面白いと思います。

--違和感をあえて作るための道具の一つとして言葉が存在する?

言葉であり、言葉を発する人間がその役割を果たしていると思います。そんな渋谷に対して、均質な街の典型的なひとつの例が、きっとフロリダでしょう。「歳をとったらフロリダでゆっくりしたいね」というイメージがあると思います。均質だということは、落ち着いた生活がそこにあるという反面、エネルギーが少ない状態だとも言えると思います。政治は街も人も均質にして安定させたいわけで、逆に均質でないものを政治でつくるのはなかなか難しい。だから、(渋谷に)出かけてきてくれた人がその不安定を、(顔を)黒く塗ったりしてつくってくれることは、街としても感謝状を出していいぐらいありがたいことだと思います。

渋谷が面白いのは「全種族オーケー」なところ

--ほかの街と比べて渋谷のほうが面白いんじゃないかという部分はありますか。

もう全種族オーケーなところじゃないでしょうか。六本木に中学生が歩いていたら、おれたち場違いだと思うと思うんです。家族連れでもそうですね。だから、銀座にジャージーの人が歩いてたら「ちょっと…」って言われる感じがします、見る側も見られる側も。渋谷には、それは全部オーケーで、同時に良家の子女でございますみたいな人が歩いていても構わないし…そのジャンルの許容量は新宿以上じゃないでしょうか。

--その全種族を受け入れる、そのキャパシティーはどこから生まれてくるのでしょうか。

それぞれが自分の都合で勝手に商いの計画をしたからじゃないでしょうか。パチンコ屋さんから、デパートから、食い物屋さんから、もうぜーんぶ自分の都合でやったから、トンチンカンになって、それがいいんじゃないでしょうか。みんなで話し合って、ターゲットはこうだから、こういうお客さんを呼びたいとか、それが足並みそろっちゃったら、さっきのフロリダの薄いやつになります。ただ、そのコンセプトがしっかりしてないというのは、いわゆる誇りのようなものは持てないかもしれません。でも、「全部見たいんだったら渋谷へおいで」というところですから、てんでんバラバラにやる、いわば自由主義的なところがよかったんじゃないかな。いずれはとても邪魔になったからどいてくれということもあるでしょうし。

--逆に、渋谷で何とかしたほうがいいんじゃないかというものはありますか。

詳しくは分かりませんが、あれくらいの人が集っていると、きっとどんな飲食店でも商売になっちゃうでしょう。商売になっちゃうと、観光地の商売と似て、客が必ず来るから「このぐらいの売上になりますね」とわかっている店が増えていくのではないでしょうか。それが残念ですね。「あの街はどこでも入ったらうまいよ」っていうのがやはり理想です。ですからいまはあまり、渋谷に何か食べに行こうって思わないんです。それが(渋谷の)徹底的な弱みで、やはりビジネス優先でできた店が多いんでしょうね。家賃が高いこともあるとは思いますが。残念なのはそこです。だから「(食の)何とか村」でも何でも、一つできちゃったら勝ちだと思います。そこからだんだんと、そういう「菌」が伝染していきますからね。

--やはり「食」というのは、街にとって重要な要素?

「どこかに何をしに行く」という動機は、買い物か、食べるか、主にそのどちらかでしょう。後は、まぁお楽しみもありますが、映画館だ何だというのはどこにもあるわけで、同じものをやっていますから。例えば、Bunkamuraのシアターコクーンとかに行くことがありますが、帰りに何食べるっていうときに、もう、いいかなって帰っちゃうこともあります。残念ですよね。土地が高いからやりにくいんでしょうね。坪効率とかを考えたら、(渋谷で)いいレストランを育てるって難しいかもしれませんね。

--渋谷にこんなものをつくったら面白いんじゃないかというものが何かありますか。

どこにつくっても面白いっていうものの方が、本当は当たりだと思うんですよ。渋谷だからこれで、ということはないんだと思います。面白いものって、どこに置いても面白いんですよ。そういう意味で、渋谷だからっていうのはあまり考えないけど、あえて言えば坂があるのは利用してみたいですよね。道玄坂や宮益坂があって、そこは谷だというのは、早い話、動力がなくてもレールを敷いただけで、坂の下に向かって進みますからね。それは、既にエネルギーがあるということで、もう1回引っ張り上げるだけで、リフトが動くわけですよね。そういう、エネルギーにかかわる何かが上手に利用できたら、ちょっと笑っちゃうな。ビルからビルにジェットコースターとかね、そういう間抜けなのができたら。役に立つものは要らないですね。

--役に立たないけど面白いもの。

役に立たないのに面白いから「あいつらばかか」って言って「誰が乗るんだよ」って言うと、乗りに来るやつがいて(笑)。だから、やっぱり今あるものは、もうマーケティングだらけなので、好かれないですよね。マーケティングばかり考えているクラスメートいたら、殴りたくなります(笑)。だから、やっぱりあの堤清二さんがやっていたころって、親へのライバル意識もあったのかもしれないし、鉄道に対する「このやろう」があったのかもしれないけど、「えい、こうしてやれ」っていう、その「ばかだよ」っていう部分が混じっていたんですよ。そうしてできたものを結局、みんなが「良かったね」って言っているわけで…。プラネタリウムにしても、要するに、もうからないのを承知で作っているんですよ。そんな発想だと思うんです。何かこう裏地に凝るみたいな面白さ…そういうのはもう今ないよね。プラネタリウムを作って、あれ、採算性どうなの?と言って、おしまいですよ。それを飛び越えてくれないと、お客さんはものや街を好きにならないですね。

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