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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

プロフィール

1950年神奈川県横浜生まれ。1976年早稲田大学理工学部建築学科卒業後、同大学大学院で吉阪隆正に師事、1976年修士課程修了。同年よりフェルナンド・イゲーラス建築設計事務所(スペイン)勤務。1979年より菊竹清訓建築設計事務所に勤務。1981年に独立、内藤廣建築設計事務所を設立。2001年より東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授。2003年より現職。代表作の「海の博物館」(三重県鳥羽市)で日本建築学会賞、第18回吉田五十八賞などを受賞。みなとみらい線・馬車道駅でグッドデザイン賞など受賞。そのほか受賞多数。

渋谷駅地下コンコースを使って10月3日から13日まで開催される初の複合イベント「shibuya1000−シブヤアートプロジェクト−」。その実行委員長を務める内藤さんは、渋谷駅街区基盤整備検討委員会で委員も務めるなど、渋谷のまちづくりのまさにキーパーソン。内藤さんに、渋谷の街のこと、未来のこと、そして「shibuya1000」のことをうかがいました。

丸の内がゴルフ場だとしたら、渋谷はビオトープみたいな街。

--内藤さんが最初に渋谷に出会ったのは?

多分、たどると5歳ぐらいまでの記憶の中にありますね。母の実家が久が原にあったので、祖父に東急のプラネタリウムに連れていかれたりとかしましたね。解体された銀の卵ですよ。プラネタリウム。記憶に残っています。子供のころ、初めてプラネタリウムに連れていかれて…。街は覚えていませんが、プラネタリウムのことははっきり覚えています。

--学生の時も、渋谷の街に出入りしていましたか?

まだ、パルコとかができていないときですが、デートをしたり、「ジァンジァン」で前衛劇見たり、ジャズ聴いたり、そういうのはよく行っていました。当時はアングラっぽかった。渋谷ってやはり若者の街ですね。懐かしいのは「壁の穴」。スパゲティにアサリ混ぜるのとか、アサリジメジ納豆とか…当時、画期的だった。スパゲティというと、喫茶店にナポリタンかミートソースしかない時代に、ああいうものが渋谷で出てきて、「壁の穴」行って食べたりしていました。

--その頃と比べて特に渋谷が変わったと思うのは、どういうところでしょう?

街はもうほとんど変わったんじゃないですかね、いろいろな意味で、立派になったというか。それは「109」が出来たり、西武百貨店の周辺に割と大きい建物が出来たり…昔はあんまり大きい建物なかったと思う。雑居ビルの集合体みたいなものから、だんだん目鼻立ちが整ってきた。だけど、街の雰囲気はそれほど変わっていません。やはり若い人がわぁわぁしていると、本当に変わっていないと思います。昔はもっと暗い感じがありましたけど。都市ってそういうものですよね。そういう表と裏が微妙に混ざり合って、都市の味が出るようなところがあるんだけど、新宿はややそういうものを失いつつあります。だから、しょんべん横丁を再開発してなくしちゃう、そうすると、また、そういう新宿の何かちょっとひだみたいものがなくなってきますよね。渋谷はなぜかそうならないんじゃないかという気がする。あの地形なんだと思います。そういうところが残っていく感じがある。それが渋谷のいいところかな。多様性を確保できるというか、隠れるような場所ができるとか、そういう完全にきれいにいかないところが、若者を引き付ける一つの要素かなと思います。

--本職の立場から、渋谷の形状を俯瞰すると、どういう街なんでしょうか。

(渋谷は)そんなに歴史ないですよね。渋谷村だったんです、150年くらい前までは。それが今みたいになったわけだけど…。渋谷はどちらかと言えば、ビオトープみたいに、谷間の真ん中に川が流れていて、いろいろな植物が育ってきたみたいな…そういう多様性があるんじゃないでしょうか。丸の内がゴルフ場だとしたら、渋谷はビオトープみたいなものだと。丸の内はあんな雑草みたいなものは育たないように、いつも農薬をまいて、きれいに芝刈りしているみたいな感じでしょう。新宿はちょっと中途半端になってきている。渋谷の谷地形は、これからもなくならない。僕の経験で言うと、かつて谷地形で底みたいなところって、不埒(ふらち)なものが割と根付くんだよね、色町だとか。要するにメジャーになりきらない。もともと低湿地で、武家はだいたい山の手の上のほうか、あるいは斜面地ぐらいまでで下に下りてこないわけです。町人地が追いやられる。それも、町人地でもあんまりよくないところというのが、だいたい谷地形の底にたまる。渋谷はそういうとこなんでしょうね。だから逆にうまいこといっているんじゃないかな。渋谷のあのビル群とか、小さなペンシルビルとか雑居ビルというのを、ビオトープの草だと思えばいいわけです。だから、きれいにし過ぎると環境の多様性が失われる。でも、案配は考えないと、やり過ぎると死んじゃう。スケールメリットで言ったら丸の内にも新宿にも負けます。ひょっとしたら、これから恵比寿とか大崎にも負けるかもしれない。だけど、山手線を見渡しても、あまりああいう谷地形ってありませんよね。その谷地形がもたらす独特の多様性みたいなものをうまく使っていかないと、ほかとのアドバンテージが確保できない…と僕は思います。

--「不埒なものが集まる」というのが非常に渋谷らしい言葉ですね。

あんまり言うとマズイ!(笑)。でも、そういうところがいいんじゃないかな。街としては、(渋谷には)もうちょっと大人の人に来てほしいという話もありますが、街を変えれば来る人も変えることができるんでしょうか。できるとは思いますが、でもあまり、あっちもこっちもやらない方がいいと思います。若い人を見に大人が来るという、どっちが中心かというのははっきりととらえておかないと。若い人の文化がいつもあそこからわいて出てきているようだと、大人も行かざるを得なくなる。それをうまくバランスをとろうと思い過ぎて大人も子供もというと、妙なことになるような気がします。軸はやっぱり若い人。もちろんBunkamuraや松濤のような大人のエリアもありますが、やはり渋谷の中心で群れているのは、若い子なんじゃないかなと思います。

--渋谷の文化は、どのようにとらえていらっしゃいますか。

文化は生ものなんですね。生鮮食料品みたいなものだから、常に変わる。変われるかどうかというところ、要するに、変われる土壌を渋谷が用意しているかどうかというところが大事で、こうだと言って決めてしまうと死んでしまう。だから、若い人が集まるということは、それだけエネルギーが投下されるわけで、それさえあれば結果はいろいろ出てくる。それを許すのが渋谷という感じがあります。都市計画になっていないような、渋谷の駅を降りたときのあの感じがいいんじゃないかな(笑)。

渋谷の器の中だけで考えたら負ける。パイ全体を広げようと考えていかなければ。

--ハチ公広場周辺の景観はどのようにご覧になっていらっしゃいますか?

整理しなきゃいけないことはあります。今回、今進んでいる基盤の話で整理はされるわけで、計画されるわけです。いろいろなものが…。ただ、計画されたものって、なかなかうまくいかないんだよね。設計者の自己満足だったり、行政の自己満足だったりするわけですよ。これはもう20世紀の計画概念そのものが間違っている。それに沿って法制度とか行政制度が出来ているわけだけど、その通りにやったからといって、いい街ができるなんていうことはあり得ない。むしろ、その通りやったらいい街ができない、ということを20世紀が証明してきたと言ってもいい。だから、どうやればそこをすり抜けて、渋谷の良さが最後まで残るかというのが、僕のチャレンジ。行政は行政できっちり問題のないものを作ろうとするし、開発事業主体は1円でも利益を上げたいと思うし、それはそれで正しいと思う、民業も、官業も。だけど、それじゃビオトープは死んでしまいます。元も子もないじゃないかと。金儲けって瞬間風速だから、そのときの事業立案で収支は成り立つかもしれないけど、50年とか100年とかを考えてどういう良さを残すのか、そちらの方が僕はトータルで見ると地域にとって大きい商売になると思う。僕はそういう視点で見ています。基本的には文化の多様性があって、そういうものが絶えず入れ替わっていくような柔らかさを持ち得るかです。それが渋谷なんじゃないかと思います。そういう風になっていってほしいと思っています。

--渋谷駅の周辺の考え方は、どういう方向で?

基本的には良くなると思います。ともかく新宿に次ぐ乗降客ですからね、僕も数を聞いて1桁違うのかなと思ったぐらいで、1日300万人だったかな?だから、乗換駅としての利便性を確保しなければいけないというところでは行政としては当然ですよね。つまり、ある種パニックが起きて事故が起きたら、それは困るわけです。だから、やはり最低限の利便性を確保することが重要です。でも、便利になったからといって渋谷が繁栄するかどうか分からない。ああ、乗り換え便利になりましたね、さっさと帰ろうみたいな…そうじゃないと思います。やはりちょっと渋谷で一杯引っ掛けて帰る…あるいは、ちょっと渋谷で降りてみたい…そういう場所にならなきゃ困るわけです。街に出たとき、あるいは駅そのものの魅力とか、駅の周辺の街の広場だとか、その先の街に魅力がないと、なかなかそうなりません。その辺が、僕らが最も苦労しているところです。

--例えばどういうところで苦労していますか?

例えば、ハチ公前広場は広くなります。それから井の頭線、銀座線、半蔵門線、それぞれ乗り換えも便利になります。JRも便利になります。多分大規模集積もできてショッピングもできるようになります。だけど、それだけだとまずいんですよね、これは。やはり共存共栄でいかないとまずくて、街全体として人が増えないと。現在の渋谷の器の中だけで競争していたら負けることは目に見えています。そうじゃなくて、相手は丸の内だったり、新宿だったり、ひょっとすると上海だったり、ソウルだったりするような頭で、渋谷のパイ全体を広げようということで考えないと駄目だと。中央に業務集積と商業集積が来ますけど、今度、それをどう分散させられるかというのは、街づくりの問題。そういうのにどのぐらい魅力のあるものを用意できるかというのが僕らのやっていることで、目玉は広場が広くなることと、地上階だけじゃなくて、上のほうの階の魅力をどうやって作っていくかということをやらなきゃいけないと思います。その上で、今回は文化街区をやりますが、そういうものとのネットワークを作りたい。これは森地先生が最初に考えられたことで、谷地形なんだから車と交差しない形でネットワークがあって、渋谷で降りると、そういうところで自然に地形の中を歩いていけるような街。これは渋谷の商業圏を増やすことになるわけですよ。そういう都市ってないですからね、世界にないと思います。ですから、それをやりたいと。その中心に駅があるという格好になっていくと思います。そこから網目状に散っていく、この節目みたいなところにアーバンコアというものをいくつか作って、それが渋谷のアイデンティティーの一つになっていく。20、30年経つと、渋谷に行くと、街はすごくごちゃごちゃしているんだけど、どこかに行こうと思ったら、アーバンコアにたどり着けば、そこを経て、いろいろなとこに行けるとか。すごく分かりにくい街なんだけど、どこかにちゃんと行こうと思ったら行ける――そういう街になると思います。

--どこかにちゃんとたどり着ける街、いいですね。

渋谷の街づくりにかかわるようになって、渋谷の街をできるだけ歩くようにしています。1年くらい前かな、渋谷の交差点のところに立っていて、いかにも渋谷に出てきましたみたいな茶髪の女の子2人が交差点で信号を待っている間、向こうにQFRONTや109を見ながら東北のなまりで「東京だよねー」って言っていた(笑)。それが渋谷だと思うな。田舎の女の子がやってきて、どこが東京なのかよく分からないけど、彼らにとっての東京、あこがれの渋谷っていうのがあるわけですよ。立派な街をつくっても、そういう風にならないとしょうがないんじゃないかと思います。そういう街の魅力というのは、なかなか調整してできるものではありません。

10月3日から13日まで、渋谷駅地下コンコースで開催される「shibuya1000」

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