1977年、ヤマハのネム音楽院同期生の野呂一生氏に誘われフュージョンバンド「カシオペア」を結成、ヤマハのアマチュア・バンド・コンテスト「EastWest」出場を機に活動を開始。1979年、アルバム「CASIOPEA」でレコードデビュー。以来、キーボードを担当する傍ら、ライブではMCを務めてきた。1985年に音楽館を設立、音楽制作などを手がける一方で、鉄道ファンが高じて、鉄道運転シミュレーション・ゲームソフト「Train Simulator」を制作し、2007年11月発売の「Railfan 台湾高鉄」までに31作品をリリース。2008年5月に東急東横店で開催された「鉄道フェスティバル」では総合プロデューサーを務めた。2001年から名古屋芸術大学音楽学部音楽文化応用学科の新設と共に専任教授に就任している。
和光市方面と渋谷を結ぶ東京メトロ・副都心線が開業しました。中でも、安藤忠雄氏が手がけた渋谷駅は開業前から大きな話題に。今回は、「カシオペア」のキーボード奏者として活躍する一方、大の鉄道マニアとしても知られる向谷実さんに、開業直前の渋谷駅ホームで、副都心線と渋谷駅の魅力について、少しマニアックな視点でうかがいました。
--鉄道がお好きな向谷さんは、副都心線の開業をどのようにご覧になりましたか?
子どものころからの鉄道ファンから見ると、ここにこういう路線ができるのはちょっと想像できなかったですね。山手線があるわけですから、環状線としてもう1本入れることを最初に考えた人は偉いなと思います(笑)。振り返ると、地下鉄ができそうだという話から全貌がわかるにつれ、「えっ、何、何?」みたいな話になって…。渋谷から東急文化会館が消えたのも、そんな古い話じゃないですよね。プラネタリウムと東急文化会館というのは、われわれ世田谷辺りの住民から見れば、あそこが双六のゴールみたいなものです(笑)。あれがなくなったところから、こんなに短い間でこういう駅ができて、さらにこの「地宙船」という非常に新しい安藤先生デザインの駅ができたり…全貌がわかるにつれ、鉄道ファンは度肝を抜かされましたね。すごい路線だと思います。
--副都心線のポイントを挙げてください。
やはり相互直通運転(以下、相直)の凄さでしょうか。最終的に2012年に東横線と相直になるとみなとみらい線も含めて(相直が)5社になりますね。横浜高速鉄道と東急と東京メトロと東武と西武。5社にわたる相直というのは、とにかく前例のない雄大さじゃないかな。都営浅草線では京急と都営と北総と京成というのがありますが、それに負けず劣らずと…。地下鉄線内の急行運転も気になります。都営線でもやっていますが、ここは追い抜き施設を早くから考えてありますし。もう1点はやはり路線としての面白さかな。池袋から渋谷まで、山手線の内側を通過していくという考え方ですね。明治通りと並行して走る路線としては、正直、JRとガチンコ勝負になりますね。先行していたJRの湘南新宿ラインという彼らの雄大な計画がある意味成り立っていて、大量のお客さんがJRに流れている。これはこれでJRのすごさだと思うし、素晴らしいところだと思います。外から入って、中に入って、向こうに抜けるのに対して、今度はどちらかというと、同じように外から入ってきても、今度は中に行って、また外側に持ってくという、そういうことで住み分していくのでしょうか。そういう勝負をかけているところがいいですね。
--安藤忠雄さんがデザインしたこの新しい渋谷駅についてはいかがですか。
東京駅が重要文化財みたいに言われるなど、一部の古い駅が文化財的に見られることはありますが、じゃ駅をどうしたらいいのかっていうことが本当に真剣に語られてこなかったのでは。利便性や使い勝手はいろいろ研究されてきましたが…こういった形状やデザイン、コンセプトで駅を表現するというのは、あまり例がないと思います。地中に埋められた地宙船は見ようがないんですよ。それがどことなく「あっこれが先頭部分だな」とか、曲線を感じる部分が随所にあって、そこで素晴らしい芸術的な効果と言ったらいいんでしょうか、もうみんなの頭の中に「地宙船」のイメージが浮かぶんですね。一応図面とかパンフレットとかで、潜在的にインフォメーションをもらっている部分もあるんでしょうけど…。でもやっぱり、安藤忠雄さんの素晴らしいところは、こういうのをつくるけど、外から見ることはできないけど、みんなの心の中に浮かぶよねっていう、ちょっと芸術家っぽい憎い演出ですよね。予算とかいろんな問題もあったと思いますが、それを決断された関係者の皆さんも素晴らしいと思います。
--いわゆる鉄道好きの方から見て、この駅で魅力が出そうなポイントはどこですか?
これは、4年後に運用が開始される東横線と、副都心線の相直で必ず使用されると思われるそのポイント類ですね。特に「ゴールデンクロス」という平面交差をするところと、「シーサス」という両渡り線、そういったものが複雑に入り込んだ「シーサスダイヤモンドクロッシング」というのでしょうか。相互に渡るシーサスがあって、平面クロスがあって…ポイント好きの人にとってはたまらない。普通そうしたポイントは、なかなか近くで見ることができないんですよ。ただ、今は東横線の線路の上に将来撤去される渡りのための通路ができていますから、一番先端(池袋方面)に行けば4年間は期間限定で、目前にそのポイント群を見ることができる。さらに池袋方面から入ってくる副都心線を正面から見て、それが手前でぐじゃって曲がり、それが波を打ちながら左右のホームに入っていくって光景を見ることができる。これは多分、鉄道ファンの聖地になるかもしれませんね、4年間は。ちょっとやり過ぎかなって気もしますけど(笑)。それから、駅の真ん中に吹き抜けのドームがあって、そこを上からのぞくと、ちょうど入ってくる電車がちらっと見えるんです。「電チラ」って言ってるんですけど(笑)。終点ですから、通過していかないので、そんなにパッとは消えていきませんが、これもいいアイデアですね。つまり、電車が今どうなっているのかが、かなり前から見ることができる。地下で、特にこういう深度のある駅だと、下りてみて初めて電車が来たか来ないかがわかるのが普通ですが、上からパッと見れるっていうのは、これは鉄道ファン的に最初から気に入っているところです。すごいなと。だから、すごく評価される駅じゃないですかね、これは。鉄道好きだけじゃなくて、一般の人、鉄道を利用している皆さんから見ても、なかなかユニークで面白い駅だと思います。
--向谷さんは世田谷の出身でいらっしゃるのですね。
そうです。僕は二子玉川園の時代からずっと住んでいて、その後も東急沿線以外に住んだことがありません。二子玉川園、桜新町、用賀、上野毛、それで今は三軒茶屋ですからね。住んだ街はそれだけです。小さいころは東急文化会館のプラネタリウムも行きました。僕らの時代は玉電の時代です。道玄坂の上からガーッと下りてくると、口を開けて東横デパートが待っている。だから、僕らから見ればもうSFの世界。路面電車がデパートへ吸い込まれていくんですよ。デパートから見れば、路面電車が入っていって、そのまままた出てくという…。このエリア、東京の中でも最先端だったんじゃないかな。だから、渋谷に行くということ自体は、もう遠足以上のワクワク感がありました。そういう意味でも僕らは渋谷止まりでしたね。
--そのころの渋谷と今の渋谷で大きく変わった点は?
逆に昔から変わらないのは、やっぱり交通の要衝という点でしょうか、昔は都電も来ていましたから。路線の出入りはありましたけど、今も昔も渋谷は交通の要衝ですね。それから、圧倒的に変わったなと思うのは、田園都市線が長津田まで開通してからの沿線開発と、それからの沿線の人口増加による渋谷への人の移動の量がすごく大きくなったことですね。当初知っていたころの渋谷は、東横デパートを中心とした駅施設から駅の回り、西武デパートぐらいまでのところと、東急文化会館ぐらいですかね。ポツポツと商業施設の立派なのがあって、お買い物に行こうみたいな…。それが今は映画館などの娯楽施設や商業施設、テナントなどが大量に増えました。家族連れやお母さんたちが買い物に行くデパートという考え方に、若者や広範囲の年齢層がショッピングだけじゃなくて、いろいろエンターテインメントな部分も含めてエンジョイできるというか、そういう街に変わっていったんじゃないでしょうか。文化を創造しているところが出てきていると感じます。