窪田祐さん 株式会社ベイクルーズ、株式会社ジョイントワークス、株式会社フレームワークス、株式会社アクメ、株式会社フィジカルエアコーポレーションの5社から成るベイクルーズグループの代表。グループの躍進のきっかけとなった「ジャーナル・スタンダード」をはじめ、「スピック&スパン」「イエナ」「エディフィス」といったアパレルブランドに加え、「ヒロブ」(時計専門店)、「スタンダード バーガーズ」(ハンバーガーを中心とした飲食業)など、全国に108店舗を展開する。
「ジャーナル・スタンダード」「スピック&スパン」など数多くのアパレルブランドを展開するベイクルーズグループ。ここ10年ほどで、グループ全体で都内を中心に108店舗の直営店を展開するという快進撃の拠点となっているのが、渋谷区神南にある本社です。ベイクルーズグループ社長の窪田さんに渋谷を拠点に選んだ理由、さらには渋谷の街の変遷などについて、お話を伺いました。
--窪田さんと渋谷との出会いは?
1960年代で当時は学生でした。ただあの頃は新宿近辺に住んでいましたので、新宿で遊ぶことが多かったですね。どちらかというと、あのざっくばらんな雰囲気が好きでしたので。渋谷は東横線沿線も含め、ステータスが高いというか、上流層が集まるイメージがあって、ちょっと近寄り難い感じでした。だから渋谷を訪れる時は、少し緊張していましたね(笑)。もちろん、今は、そうは思いませんが。
--当初から渋谷区神南に事務所を構えていたのでしょうか。
創業してから30年以上経ちますが、当時は卸売りからスタートし、10年前に神南に移りました。渋谷か原宿以外は頭になく、実際、最終的には渋谷と原宿の二つの物件に絞られましたが、原宿の物件は売りビル、一方現在の場所は更地でしたので、好きな建物を建てられると思いこちらを選びました。特に強い勝算があったわけではありません。というよりも、冷や冷やしていたのが正直なところです(笑)
--当時の神南は、どのような街だったのでしょうか。
当社も5店舗を出店していますし、今でこそ賑やかに発展していますが、当時の神南は商圏として特に魅力的な場所ではありませんでした。まず、何よりも人通りが少なかったですから。とはいえ、公園通りにしても「魔の公園通り」と呼ばれ、ビジネスの成功は難しいと言われていたように、表通りだからといって安心だということはありませんでしたね。今の神南の発展は、メインストリートにおける出店スペースの減少や、出店料の高騰などの影響によって、裏へ裏へと商圏が拡大していく流れのなかにあったのでしょう。それにしても大きく変わったなと驚きます。BEAMSさんが沢山のお客様を連れてきてくれたという効果も大きかったのだと思います。客層が若年層に偏ってしまった感じはしますけども・・。しかし今後はユナイテッドアローズやアルマーニエクスチェンジが公園通りにできるという情報もありますので、また人の流れが変わってくるでしょう。
--今年3月、宮益坂に「B.C.Salon SHIBUYA(ビーシーサロン シブヤ)」をオープンした狙いを教えてください。
「B.C.Salon SHIBUYA」は、「ジャーナル・スタンダード」「スピック&スパン」「フレームワーク」「アイボリーコート」「ヒロブ(時計専門店)」「Body by VITAL ola(フィットネス)」といった自社ブランドが入った複合店舗です。アパレルショップが集積していない宮益坂への出店は、ある意味では冒険でしたが、青山方面ともつながる宮益坂下の駅前に良い物件を見つけたことに加え、今後の東急文化会館跡地の開発とともに、平成20年に東京メトロ副都心線が渋谷駅に直結されることで発展を見込めるエリアであることが決め手でした。もちろん、すぐに大きく変わることはないでしょうが、少しずつ競合店が増えてエリアとして賑わうことを期待しています。10年前は閑散としていた神南が今は栄えているという現象が、宮益坂でも再現されることを願っています。