弁護士として国際的に活躍する一方で2006年1月、渋谷・円山町に名画座・シネマヴェーラ渋谷を開館させた内藤篤さん。ミニシアターが集まる渋谷のなかでも唯一の名画座とあって、オープン以来、話題を呼んでいます。その内藤さんに開館の経緯や、渋谷への思いなどを伺いました。
--弁護士の内藤さんが名画座を開館した理由を教えてください。
平たく言えば映画が好きだったんですよ。学生時代には年間で350本くらいの映画は観ていて名画座にも足繁く通っていた。弁護士になってからも主に映画や音楽の分野の仕事に携わってきました。だんだんと名画座が消えていくのを残念に思っていましたが、誰も新たに名画座を開いたりはしないでしょ(笑)。仕方がないから自分でやるかと思い立ったのが開館の動機ですね。一人の映画好きとして、この二つの作品を組み合わせて名画座で上映すれば面白いな、なんて空想にふけることはよくありましたが、まさか自分で開館することになるとは思っていませんでした。
--個人で映画館を開館するとは、かなり大きな決断ですよね。
そうですねぇ。もっとも全てを一人で進めたのではなく、現在、同じビルに入っているユーロスペースのオーナーとは昔から親しく、ある時、僕が一つのスクリーン、ユーロスペースが二つのスクリーンを持って同じビルで映画館を開かないかと持ちかけたら、良い返事が戻ってきたんです。そして最終的には、やはり同じビルに入っているQ-AXシネマとも連合して開設に踏み切ることになりました。ユーロスペースは渋谷で長く愛されてきた映画館なので、新たな場所も必然的に渋谷に決まりました。僕は立地に関しては比較的オープンだったのですが、ユーロスペース側は「移転先は渋谷しかない」と方針が明確だったんですね。新宿の歌舞伎町あたりでは女性が一人で訪れるのには抵抗感がありそうですし、銀座はミニシアターの立地としては良いのですが資金的なハードルが高い。池袋も悪くないのですが、アート系の作品を上映することを考えればサブカルチャーっぽい猥雑さのある渋谷の方が適している気がします。
--現在の立地は、どのようなお考えで選んだのでしょうか。
あまり小さな映画館にしたくなかったので最低でも80坪以上の敷地を探していたのですが、理想的な土地はものすごく高い。だからといって妥協するのもイヤだったので、かなり苦労しましたね。今の場所を選んだのは150坪の広さがあること、近くにル・シネマ、シネ・アミューズ・イースト&ウエスト、そして渋谷シネ・ラ・セットの3館があるので、ウチが新たにオープンすればミニシアターの中心地になり得るのではないかという考えがありました。
ただ、今後、渋谷の駅そのものの開発が進み、13号線と東横線が将来相互直通運転を始めると、人が渋谷駅で降りないんじゃないか。例え降りたとしても駅ビルなどが格好良くて立派になると、人が街に出てこないで、駅から歩いて10分ほどかかる円山町まで人が来ないんじゃないかという懸念が、漠然とあるのも事実です。
--オープン以来、お客さんの入りはどうでしょうか。
なかなか大変ですねぇ(笑)。3つの特集のうち、興行的に2勝1敗なら問題ないのですが、今のところ1勝2敗で推移している感じです。人気が高いのは、いかにも名画座ファンが好みそうな作品ですね。加藤泰特集はまさにその読みが当たって成功しました。周りから「外れるぞ」と言われていた黒沢清特集の客の入りが盛況だったのは少し意外でしたね。逆に山口百恵の出演作を集めた特集は手堅いと思っていましたが惨敗しました。山口百恵ファンはDVDを揃えているから映画館で観ようとは思わず、名画座ファンは山口百恵の作品に必ずしも興味がなかったということなのでしょうね。同じく薬師丸ひろ子特集の入りも芳しくありませんでした。昔からの名画座ファンは各地にいて、横浜や埼玉から訪れるお客さんも少なくありません。山口百恵の特集にはわざわざ福井県から来たという方もいらっしゃいました。特集では、そういう固有のファンと、新しいお客さんの両方を惹きつけられるようなバランスを心がけています。その意味では小津安二郎特集はどちらの層にも好評でしたね。
--特集はどのように考えるのでしょうか。
本当は自由に特集を組みたいのですが、特に洋画は権利切れの問題などが絡むため、物理的に制約されることが多いですね。さらに一つの特集には18本から多い場合は24本ほどの作品が必要となるのですが、一人の監督の特集を思い立っても、それだけの本数が集まらないこともあります。そんな制約のなかで3週間に1つのペースで特集を構想している感じです。基本的に特集の内容は自分で考えますが、周りの声を取り入れることも多いですね。現在、上映中の特集「妄執、異形の人々 -Monde Cinemaverique-」は、初日のトークショーに出演していただいた映画評論家の木全公彦さんから、「こんなのやってよ」と連絡を受けたことがきっかけでした。
--名画座は各地で減っていますが、今後、どのような状況になると思いますか。
個人的には発展してほしいと思いますが、実際には難しいかなというのが正直な思いですね。僕らの学生時代はDVDどころかビデオもありませんでしたから、古い映画はたまたまテレビで放映されるか、名画座でなければ観られませんでしたが、これだけ家で手軽に映画を観られるようになってしまってはね。それでも、名画座の面白さがなくなってしまったわけではありません。館内では、隣に座っている他人同士がスクリーンを通して同じ瞬間に笑ったり泣いたり、面と向かって話をするのとは異なる微妙なコミュニケーションが成立している。さらに特集を通して繋がりのある映画を一挙に観られるのも名画座ならではの面白さでしょう。そういう魅力を、名画座を知らない若者にも伝えたいと思いますね。
--内藤さんと渋谷との出会いを聞かせていただけますか。
母方の祖母が渋谷の都営住宅に住んでいたので幼稚園に通う前から週末には遊びに来ていました。東京オリンピックが開催される前の話で、表参道のキディランドに連れて行ってもらって大喜びした記憶がありますね。学生時代には渋谷の映画館や古本屋に通い詰めました。今ではほとんど残っていない恋文横丁に評論家の植草甚一さんが洋書を漁りに来るという古本屋があって、実際に何度か本人と思しき姿を見かけたこともありました。当時の渋谷には全線座という名画座があって、いつも試験が終わると友達と一緒に来ていました。二本立てを安く観られる名画座は学生にとっては大助かりでしたね。いつも5、6割の座席は埋まっていました。これほどまでに映画にのめりこんだのはフランス文学者で映画評論家の蓮實重彦先生との出会いが大きかったと思います。斬新な物言いで映画を語る魔術に絡め取られたのですね。今でも平均して週に5本は映画を観ています。他の街にも行きました。それこそ、古本などを探しに行くと一日がかりになるのですが、渋谷には古本屋やジャズ喫茶、映画館など、当時のサブカルチャーのはしりがいろいろあって欲望を満たしてくれる街でした。
--渋谷の良いところ、また、今後の渋谷に望むことをお聞かせください。
最近、井の頭線の渋谷駅周辺はきれいに整備されていますよね。大学時代には、ごちゃごちゃした雰囲気の中にモツ焼き屋があって、しょっちゅう酒を飲んでいました。この間、「この界隈も変わったなぁ」と思いながら歩いていたら奥まった場所に古いモツ焼き屋を発見し、嬉しくてたくさん食べてしまいましたよ。あの辺にはストリップ劇場もありましたが、今ではカフェになっているようですね。そういう意味では街から「猥雑さ」が減ってきている印象を受けます。渋谷の最大の面白さは、良い意味での怪しさが漂うところだと思うんですね。たしかに表参道の並木通りのような空間に人々が笑いながら歩いている光景は美しいのですが、渋谷はそうならないし、そうならないところが渋谷の良さだと思っています。サブカルチャーを100%信じきっている訳ではありませんが、サブカルチャーって、ある種の猥雑さと結び付くことが多いんですよ。だからクリーンな表参道にはサブカルチャーは根付かず、映画館や古本屋もない。個人の好みの問題だと思いますが、私はそういう渋谷が好きですね。だから、今後、整備を進めるにしても一定の猥雑さを残してほしいと思っています。
■プロフィール
内藤篤さん
1958年東京生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。ニューヨークへの留学・研修の期間中にニューヨーク州弁護士資格を取得し、帰国後、内藤・清水法律事務所(現・青山総合法律事務所)を設立した。弁護士として映画や音楽の分野の仕事を行う一方で、2006年1月、Q-AXビル内にシネマヴェーラ渋谷を開館。
シネマヴェーラ渋谷 2006年1月、Q-AXビル内にオープンした渋谷唯一の名画座。内藤さんの独自のセレクトによる邦画中心の特集を約3週間ごとに入れ替えている。 渋谷区円山町1-5 Q-AXビル4F 03-3461-7703 現在の特集上映 『妄執、異形の人々 -Mondo Cinemaverique-』(〜9月29日) |