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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

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青木唐さん
(株式会社スタイルズ代表取締役)

人情味あふれる円山町のラブホテルから、
業界のイメージや文化を根底から変えていきたい

プロフィール

1978年、東京生まれ。2001年、東京経済大学卒業。中学校のときにブラスバンドに入部し、トランペットに出合い、ミュージシャンを志す。大学卒業後、不動産投資会社に入社し、青山のダイニングの店長を経て、ラブホテル部門に配属。2011年に退社して、ラブホテルの管理業務などを行う株式会社スタイルズを設立。渋谷ホテル旅館組合副組合長のほか、東京都ホテル旅館生活衛同業組合理事、池袋ホテル旅館組合理事、東京韓国商工会議所理事などを兼任。

渋谷の円山町は、ラブホテルが密集するエリアにクラブやライブハウス、さらに個性的な飲食店などが混在し、カルチャーのるつぼといった様相を呈しています。この地域はどのような経緯で形成され、現在に至るのでしょうか。円山町の複数のラブホテルの管理業務を行い、渋谷ホテル旅館組合の副組合長を務める株式会社スタイルズ代表の青木唐さんに、円山町の歴史や魅力、またご自身の仕事への思いなどをお聞きしました。

ラブホテル業界が非常に誠実なビジネスで、まず驚いた

_はじめに株式会社スタイルズを設立するまでの経緯をお聞かせください。

少し遡りますが、もともと僕はミュージシャン志望だったんです。高校在学中より、バイト先だった運送会社で昼間は働き、夜間は大学に通いながら、ブルースジャズのバンドでトランペットを吹いていました。インディーズの事務所に所属して、あちこちのライブハウスで演奏したり、渋谷のタワレコでインストアライブをしたり本格的にやっていましたが、しだいに「自分には音楽は向いていない」と気づいてしまって……。それで、身近な方の不動産投資会社がレコーディングスタジオを所有していたため、そこで働かせてもらおうと就職したんです。ところが意に反して、青山通り沿いのダイニングレストランに配属になり、しばらく店長として仕事をしました。次に「ラブホテル部門に移ってくれ」と言われた時はすごく嫌でしたが、実際に仕事をすると結構楽しくて、「向いているかもしれない」と感じたんです。その後、2011年に社長と話し合った結果、ラブホテルの管理業務の一部を譲り受け、スタイルズを設立して独立しました。現在は、渋谷の円山町や池袋を中心に5軒ほどのラブホテルを管理をはじめ、他のホテルにも営業指導を行い、自社物件も保有しています。また物件オーナーから相談を受け、マンション管理や飲食店・ショップ経営など多様な業態に対するコンサルティング業務も行っています。

_ラブホテルの仕事の面白さは、どのあたりにあるのでしょうか。

この仕事を始めて最初に驚いたのは、イメージとは対照的にとても誠実なビジネスであることです。でも、よく考えると、これは当然のことなんですよね。ラブホテルのお客様の大半はリピーターで、売上の75%は月3回以上の利用者で構成。ラブホテルを日常的に利用するカップルは大抵、常時何軒か候補があり、その中で特にお気に入りのホテルを頻繁に利用します。では、どうやって自分のホテルを好きになってもらうかというと、これは誠実にサービスを向上させていくしかありません。飲食店のように面と向かってサービスをする機会はありませんから、部屋のクオリティや清潔感、行き届いたサービスなどがそのままお客様の評価に直結するんですね。そうした点に仕事としての面白さを感じたことが、この業界にひかれた理由の一つです。

円山町のラブホテルは「個性的なビストロ」のようだ

_他にはどのような点にやりがいを感じているのでしょうか。

この業界は、不器用だけどまっすぐな人たちが多いんです。社会で器用に立ち回るのは難しいけど、一生懸命なんですね。ミュージシャンを目指していた頃、一緒に頑張っていた仲間と似ている気もします。不動産会社に入る前の一時期、営業の仕事をしたことがあり、そこそこ器用にやれたのですが、「あの状況で本当に物件を売るべきだったのか?」などと悩むようになって辞めてしまいました。そんな経験から、お客様にハッピーな気持ちになってもらうことを一番に考え、まっすぐな気持ちで向き合えるこの仕事に喜びを感じています。それから、自分の中で大きな転機となったのは、2011年の風俗営業法(風営法)の改正にあたり、私が理事を務める東京都ホテル旅館生活衛生同業組合より、上部団体である全国旅館ホテル生活衛生同業組合の対策メンバーとして、厚生労働省や検察庁の方々とやり取りをしたことです。当初の改正案はびっくりするほど実態に即しておらず、意見書や資料を作成して私たちの考えを提案しました。最終的にはこちらの提案をかなり取り入れる形での改正となり、多くの関係者から「おかげで法律が良い方向に変わった」と感謝の言葉をいただきました。この経験も私が業界に根付くきっかけになったと思います。

_円山町のホテル街の歴史を教えてください。

2012年に渋谷ホテル旅館組合が設立60周年を迎えました。その際に発行した記念誌の編集長を務めた関係で色々と聞いて回ったのですが、もともと円山町は戦前から料亭が軒を連ね、芸妓が通りを行き交う花街でした。ところが、しだいに花街の役割が銀座に移ると料亭は減り、旅館やホテルに転換していきました。また岐阜県の御母衣ダム建設に伴い、移住の代替地として円山町が与えられて旅館やホテルを始めた人も少なくありません。現在、円山町には60軒程度のラブホテルがありますが、ピーク時からあまり変化していません。これは円山町にラブホテルの建築規制条例があることにも関係しています。

_他の都市のホテル街と比べると、円山町は少し雰囲気が違うように感じるのですが……。

渋谷の中で円山町は多少賃料が安いこともあり、クラブやライブハウス、個性的な飲食店などが共存してカルチャーが息づいています。このあたりは独特といえるかもしれません。また、新宿など他の都市と比べると、ラブホテルの規模が小さいのも円山町の特徴です。例えば、新宿のラブホテルの平均客室数は40室程度ですが、円山町は20室に満たないホテルも多い。新宿では法人が経営効率化を求めて再編を進めているのに対し、円山町は先ほど話した歴史的経緯や条例により、世襲による個人経営のホテルが多いことが主な要因です。最近のラブホテルの中には、「女子会」を提案するなど、従来の範ちゅうを超えた利用を打ち出すケースが目立ってきました。一見するとビジネスホテルに見えるけど、実際はラブホテルとしての利用が多いというホテルも多くなっています。一方、円山町はいかにも「昔ながらのラブホテル」といった佇まいやネーミングのホテルが少なくありません。どちらが良い悪いということではなく、大規模なラブホテルがファミレスだとしたら、円山町のホテルは個人経営のビストロや焼き鳥屋に近いかもしれません。おやじがやる気をなくすと一定のクオリティを保てませんが、オーナー次第で個性的なホテルにもなり得ます。そんなところも円山町の面白さかもしれませんね。

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