10月25日(日)、渋谷ファッション・ウィークのメインイベント「渋谷ランウェイ」のスぺシャルゲストとして登場する歌手・野宮真貴さん。当日は渋谷のストリートで、ファッションショー&ミニライブを行うという。今回のインタビューではシブヤ経済新聞・西樹編集長を聞き役として、イベント参加を控えた今の心境と共に、「元祖渋谷系の女王」として90年代に一世を風靡(ふうび)した元ピチカート・ファイヴ時代を振り返り、20年の時を経ても色あせない「渋谷系」の魅力に迫った。
渋谷系アーティストの共通点は「本当に音楽が好き」ということ。
90年11月、文化村通り沿い「ONE-OH-NINE」内にオープン。98年に渋谷センター街へ移転し、2010年8月に惜しまれつつ閉店(撮影2010年)。
西:90年代に大流行した「渋谷系」ですが、その言葉が使われ始めたのはいつ頃だったか、覚えていますか?
野宮:はっきり覚えていないんですが、何かの雑誌で書かれたのかな? 当時、渋谷のCDショップ「HMV」には、太田さんというスタッフがお薦めする音楽コーナーがありました。そこでピチカート・ファイヴ、オリジナル・ラブとか、私たちも影響を受けた過去のフランスやイタリア映画のサウンドトラックやバート・バカラック、ロジャー・ニコルズとか、そういうジャンルの音楽が一緒に置かれていて、その太田さんお薦めコーナーを誰かが「渋谷系」と言ったのでしょうね。
西:外の人よりも当事者である「中の人」の方がワンテンポ遅れて、「渋谷系」という言葉を知ったという感じでしょうか。
野宮:そうですね。メンバーの中では「最近、自分たちのような音楽を『渋谷系』というらしいよ」みたいな感じで(笑)。
西:音楽ジャンルのようで、そうでもないくくりが斬新でした。
野宮:「渋谷系」と呼ばれているアーティストの曲を聴くと、音楽性は全然が違っていたりするのですが、何か一つ共通点を探すとすれば「本当に音楽が好きだ」ということ。ロジャー・ニコルズとか、それまで誰も知らなかった過去の素晴らしいアーティストや音楽をリスペクトし、そうした過去のいい音楽を自分たちだけで楽しむのでなく、それを多くの人たちに紹介していったりした。自分たちなりに昇華して、新しい音楽を作って伝えていたというのが、「渋谷系」と呼ばれるアーティストに共通するものなのかなと思う。
西:当時はネットがない時代で「自分の好きなものを誰かに皆に伝えたい」という気持ちが、今よりもすごく熱い時代だったのですね。
野宮:例えば、ロックミュージシャンは「自分が大好き」というところがあるじゃないですか。でも渋谷系のミュージシャンは、自分よりも何よりも「音楽が好き」という人たちばかり。その気持ちが凝縮された場所が渋谷のHMVだったから「渋谷系」と呼ばれるようになったのでしょう。
西:音楽がオシャレなだけではなく、CDジャケットもオシャレでしたよね。
野宮:CDジャケットがガラッとオシャレに変わりました。渋谷系は音楽と同時に、アートワークにこだわる人が多くて…。当時「ジャケ買い」という言葉もありましたが、ジャケットが良ければ中身もいいいだろうと。昔の映画やフォトグラファーの写真からインスパイアされたりとか、とにかくセンスのいい人がとても多かった。中でもカリスマはアートディレクターの信藤三雄さんで、当時の渋谷系のジャケットをほとんど手掛けていたんじゃないかな。
西:音楽を軸にして、デザインやファッションが一緒になったライフスタイルが「渋谷系」だったと言えるかもしれませんね。「渋谷系」以降、「〇〇系」みたいな言い方も増えましたから、その影響力は本当に計り知れません。
野宮:ご存じですか、「渋谷系」という言葉はいま海外でも通じるんですよ。
西:海外でも?
野宮:20年を経た今、ブラジルや台湾など世界中で、当時の音楽に影響された新しい渋谷系アーティストが続々と出て来ています。もともとピチカート・ファイヴは海外デビューして、ワールドツアーもしていたので、そういう影響が残っているのでしょう。
西:野宮さんたちがまいた種が新しい世代にしっかりと伝わっているのですね。「渋谷系」という言葉が海外まで広がっていることに驚きました。
シブヤ経済新聞 西樹編集長を聞き役とし、90年代の渋谷カルチャーや、当時の野宮さんご自身の心境など語った。