国内外で活躍するクリエイターであるバスキュール代表・朴正義さんと、PARTY代表・伊藤直樹さんがタッグを組み、今春から新しいスクール「BAPA(バパ)」を本格始動。ユニークなスクール名は「Bascule」と「PARTY」、「Both Art and Programming Academy」を掛け合わせて名付けられたもの。「アート」と「プログラミング」のスキルを兼ね備えたクリエイターの育成を目指すBAPAは、「文系」と「理系」、「デザイナー」と「エンジニア」など、既存の教育システムの枠に囚われない”新しい学校“として注目されています。今回のキーパーソンでは、7月後半に開催する「BAPA卒業展示」(渋谷ヒカリエ)を控え、学校長である朴さんと伊藤さんにじっくりとお話を聞きました。「アート&コード」を学ぶことの意義から、作品発表の場として渋谷がふさわしい理由、さらには約20年前に2人がインターネットに初めて出会い、その時に感じた可能性や想いなど…。さて、BAPAは渋谷で一体どんな化学変化を起こすのでしょうか。
街は変わっていても、僕の中の渋谷はほとんど変わっていない。
_まず、お二人がイメージする渋谷を教えてください。
朴: 渋谷デビューはたぶん中3ぐらい。実家は葛飾区の新小岩で、渋谷の街とは対極みたいなところで育ちました。正直、西側があんまり好きじゃなくて(笑)。何て言うんですかね…。
伊藤:西の野郎みたいな(笑)。
朴:中高生、思春期の頃になると気取り始めて、原宿や渋谷に行くんだけど馴染めない。渋谷はJRというより、東急じゃないですか。僕は国鉄文化で育っていたので、なんとなく自分とは関係のない別の世界で。今、僕は中央区の佃というところに住んでいますが、いまだに東側がホームタウンです。でも、新宿はホームタウンだと感じているんですよ、何でですかね。
_ピーッとこう、区分けがどこかにあるのですか?
朴:新宿はJRだからかな。たとえば、表参道とか青山はもうJRじゃないから、なんとなく構えないといけない街なんです。そういう意味では、渋谷には常に格好よくあってほしい。残念ながら、渋谷をホームタウンと感じることがないまま四十何年も経ってしまったんですけど…。渋谷は僕にとって普段の自分じゃない、何かの体験をしに行く場所みたいな感じがしています。
_伊藤さんは渋谷をどうイメージしていますか?
伊藤:僕も、巣鴨のほうでしたけど高校から東京で、毎週渋谷に行っていたんですよ。25年前ですが、ちょうどその頃に東急Bunkamuraがオープンするなど、渋谷は田舎から出てきた僕には新鮮だった。僕らは「渋カジ」のファースト世代で、毎週、神南にあるアメカジショップ「バックドロップ」などに洋服を見に行っていました。当時、西武線沿線に住んでいたんですが、そういう服ってぶっちゃけ池袋じゃ買えないんですよ(笑)。
_今と昔の渋谷を比べたときに変わったなと思う点はありますか?
伊藤:人間の成長と同じだと思う。朴さんと10年近くのお付き合いになるんですけど、朴さんは全然変わらない。でも写真を見たら、本当は変わっているはずなんですよ。街もそれと一緒で、僕にとっては25年前の渋谷と全然変わっていない。たとえば、渋谷駅前のQ-FRONTには、それ以前にあそこに何があったのか、全く覚えていない。僕は80年代から渋谷に行っているので、その当時を知っているばずなんだけど…。というぐらい、街は変わっているんだけど、僕の中の渋谷はほとんど変わっていません。
朴:僕の場合は渋谷ヒカリエやNHKとか、仕事でしか来ないので…、正直、変化が分からない。昔から渋谷に行くのは昼間だけで、夜に飲んだりしないですね。
伊藤:まぁー、おっさんは渋谷を歩かないほうがいいと思う。僕が高校生のときは、おっさんがいたらとても嫌でしたもん。なんとなく。
朴:でも、そういう感じはあるかもしれないね。
伊藤:おっさんが歩いていたら、とても居心地が悪いですよ。「なんだ、こいつ?」みたいに思っちゃう。だからもう、歩きませんよ!(笑)
_最近、渋谷からギャルが減っていると言われますが、それは大人が増えたことも原因でしょうか。
朴:そうかもしれないですね。
伊藤:しばらく前に街の自警団のような大人たちが、子どもたちを指導するようなことが行われていましたが、ああいう行為が、気をつけないと渋谷の良さを殺しちゃうことなると思う。あまり、子どもたちを縛りつけちゃいけないんですよ。自由度とか、ストリートが渋谷の良さだと思うので。
先輩がいないインターネットなら、僕らは突き進んでいけると思った。
_BAPAの生徒さんは、幼少期からインターネットに触れて育った「デジタルネイティブ世代」だと思います。お二人はネットのある時代、ない時代を経験されていると思うのですが、その点でアドバンテージがあると思いますか?
朴:そういう意味では、僕らはインターネットに無駄な幻想をたくさん持っていると思う。「ネットで世界が平和になる」とか、僕らはヒッピー的な幻想を持っているんですけど。たぶん、今の若い子たちは一切そういう幻想を抱いておらず、もっと現実的で下世話なことしか考えていないんじゃないかな。僕らが学生のころは、好きな人と電話するのが最高のエンターテインメント。電話が家に1台しかなくて、「おまえ、長電話すんな!」みたいな感じで、テレビよりも何よりも好きな人と電話することが最高に楽しかった。でも、今はLINEで個人にすぐに連絡が出来ちゃう。もちろん当時のあの感情を、今の子が持っていないから駄目とは思わないけど、でも、ああいう経験は僕らの情緒を育ててくれています。正直、どっちが強みかは分からないけど、要するにコミュニケーションがとても大事だと思う。そこが分かっているかどうかが、肝心なんですよ。
_コミュニケーションが大事?
朴:恋愛は、何千年も前から人間のエンターテインメントじゃないですか。よくコンテンツが大事とか言うけど、やっぱりコミュニケーションのほうが上だと思う。たとえば、超面白い映画を嫌いな人と見るよりも、好きな人と凡作見ているほうが絶対に楽しい。コミュニケーションがコンテンツを食うことがあるんですよ。そういうことが分かっていれば、ブレないし、それをどう使おうかなと考えることも出来ると思います。
_本格的にインターネットを使い始めたのは、いつからですか?
朴:僕が仕事でネットを使い始めたのは97、98年ぐらい。30代前後ですね。それまでの仕事に色々と壁を感じていて、それを超える手段はないかなといつも探していました。そうした中でネットやデジタルなら、既存の権威みたいなものを一気にひっくり返してくれるんじゃないか、と期待していたところがありました。青臭いですが、そういう期待はいまだにありますね。
伊藤:ちょうど大学の時にインターネットが始まったんですよ。学生時代は映画を撮っていたので、ネットなら映像もできるんじゃないかと思ったのがきっかけ。新しいメディアであるインターネットなら先輩がいないし、将来はネットで勝負したいなって。
朴:分かる、先輩がいないからね(笑)
伊藤:企業にインターネットの部署とかがない時代。先輩がいなくて、伝統もないから突き進んでいけるかもしれないと、おぼろげながら考えていました。
朴:ネットの世界でトップになりたいとか、のし上がりたいという気持ちよりも、なんとなく好きなことが出来るんじゃないか、という期待感のほうが大きかったように感じます。
伊藤:そうですね。僕の場合、表現をつくりたいと思っていたので、「ITでお金をもうけしよう」なんて、1ミリも思わなかった。でも、あの時にそっちに行っていれば、今ごろITセレブみたいになっていたかもしれない(笑)。
BAPAの授業風景。PARTYとバスキュールのオフィスを交互に教室として利用し、第一線で活躍するプロの仕事場を肌に感じながら授業を受ける生徒たち。