1968年愛知県生まれ。23歳でデザイン事務所ビックボスを設立(1995年にLD&Kに社名変更)。2001年「宇田川カフェ」を皮切りに、渋谷・新宿・品川・大阪・神戸・沖縄に、カフェ・バー・ライブハウスなどを運営。2012年には香港法人「利徳其(LDK)貿易有限公司」、上海法人「上海利徳其餐飲管理有限公司」を設立し、今秋に上海でのカフェバー開業を目指して準備を進めている。
「かりゆし58」「ガガガSP」などのアーティストが所属する音楽レーベルLD&K(エル・ディー・アンド・ケイ)。中核である音楽事業のみならず、“カフェブーム”のハシリとなった「宇田川カフェ」、2匹のヤギを飼っている「桜丘カフェ」など、飲食店・ライブハウス経営や出版事業なども精力的に展開しています。20年以上にわたり渋谷の地でさまざまなビジネスを興してきた代表取締役社長の大谷秀政さんは、この街をどのような思いで見つめているのでしょうか。
--LD&K(エル・ディー・アンド・ケイ)を立ち上げるまでの経緯を教えていただけますか。
僕が起業した理由は、いたってシンプル。早起きして満員電車で通勤するのが、どうしても性に合わなくて(笑)。趣味のサーフィンで早起きするのは苦にならないんですけどね。仕事の場合、午前中はあまり頭が回らないから、どうしても早起きが利にかなっていないと思えてしまうんです。午後から始めたほうが効率が良いのに、と。だからうちの会社は11時出勤です。起業の経緯をお話しますと、大学在学中に空間プロデュースの会社に就職して、卒業後に自分たちでデザイン事務所をつくりました。当時はマッキントッシュが出始めの頃で、特に専門的な勉強をしていなくても、イラストレーターなどのソフトが使えれば、イベントのチラシやCDのジャケットのデザインなど、まあまあ仕事が入ってきたんです。並行して、クラブやレンタルスペースを一晩借りてパーティーをする、いわゆるワンナイトクラブの運営などもしていましたが、23歳の頃、初めての挫折が……。恵比寿のレンタルスペースでファッションショーとライブをセットにした大規模なパーティーを開いたのですが、それが大コケして一晩で600万円もの借金を抱えこむことに。当時の僕にはショックが大き過ぎて、3日間、ふて寝しました(笑)。
でも当たり前だけど、寝ていても仕事が入って来るはずもなく、借金も返せない。債権者から電話はあるけど、さすがに600万円くらいで殺されはしないだろうから(笑)、生きなくてはならない。そう考えたら、人生を棒に振るほどの金額ではないと思えてきて、4日目からとりあえず働こうと思い直し、出版や音楽の企画書をつくり始めました。特別なコネはなかったから飛び込みでしたけどね。それで次第に仕事が入り出したのですが、単発モノが多く収入が不安定だったので、自分で音楽レーベルをつくってアーティストを育てようと思いついたんです。根っこには、僕自身、学生時代にバンドをやっていたことがあったと思います。当時から不思議に感じていたのが、日本では、音楽をする人より、させる人のほうが良い暮らしをしているなあということ。それで、させる人の側に回ってみようと思ったわけです(笑)。
--その後、「宇田川カフェ」をはじめ、カフェ事業を展開するまでは、どのような展開があったのでしょうか。
音楽レーベルを始めてからは、渋谷や下北のライブハウスを回ってアーティストの発掘に努めました。基準はざっくりとしていますが、何か一つでも特別なものを感じさせてくれるアーティスト。言葉にリアリティがあったり、詩が伝わりやすいミュージシャンが、特に好きですね。めぼしい人を見つけては、「一緒にやろうよ」と声をかけ、次第に所属アーティストが増えてくると、逆にデモテープが送られてくるようになってきて、ライブハウスで発掘する必要はなくなりました。そんな感じで、音楽レーベルがまあまあ軌道に乗ったところで思い始めたのが、所属アーティストたちが集まれる「たまり場」をつくってやりたいということ。ライブの打ち上げも、その店でできれば便利ですしね。そのとき、ちょうど渋谷クラブクアトロの隣のビルに空きがあって、初めてのカフェ「宇田川カフェ」をオープンしました(2006年に現在の場所に移転)。2001年のことですね。実はこのカフェの工事中に大きなトラブルがあって……。いろいろと仕事を受注していた会社が突然倒産し、数千万円の未払い金が発生したんです。そのお金を工事代に充てるつもりでしたから、ホントに焦りましたけど、お金がないところから回収することも不可能で。何とか頼み込んで工事代を分割払いにしてもらい、社員には内緒で夜間のバイトをして給料を捻出していました。油断していると、時々、そういうことが起こるんですよね……(笑)。
--多くのカフェを経営されていますが、共通するコンセプトはありますか。
基本的に古いものが好きで、「この店、前からあったよね」と言われるような路地に馴染んだカフェをつくりたいと考えています。自分自身、あまりピカピカした店だと落ち着かないんですよね。だから新品のテーブルなんかも、釘を打った棒でバンバン叩いて傷をつくってアンティークな感じにしています。あと、最近ではテナントとして入居依頼が増えていますが、路地にぽつんとあるたたずまいが好きなので、きっと今後も大きな商業施設の中に入ることはないでしょうね。もし社員が「やりたい」と言えば、考えるかもしれませんが。僕のポリシーは「好きなことを仕事にする」なんです。だから例えば、沖縄のライブハウスは「沖縄に遊びに行きたい」から出店したわけで、自分や社員が興味を持っていない場所は、たとえ儲かるだろうと分かっていても恐らく出しません。ちなみに渋谷には、物件次第ですが、あと2、3店舗は出せる余地があると考えています。社員の中で「自分が店長をやる!」と手を挙げる者がいたらオープンしたいですね。
--社員の「やりたい」という気持ちを重視しているのですね。
基本的には、「放ったらかし経営」ですからね。店長には店舗運営だけでなく、売上管理も任せて自由にやってもらいます。大阪のライブハウスは多額の投資をしてビルを買って開店させましたが、レセプションパーティーに1時間滞在しただけで東京に戻り、それから半年は行きませんでしたから(笑)。やっぱり、こちらが本気で任せないと、どうしても店長や店員は「やらされている」感をもってしまい、その中で楽をしようと考えてしまうんですよ。1人でできることには限界がありますし、それに店長を任せる人物は基本的に飲食の経験者だから、よほど僕より上手くやってくれますしね。もちろん、任せるのは勇気が要りますよ。それでも、もし売上が落ちるなどの失敗があったら、そのときは一緒に原因を考えればいいわけですし、本当にダメになってしまっても、それはそれでと割り切って考えていますね。でないと、いろいろな好きなことをどんどん仕事にしていくことはできませんからね。
--音楽レーベルとカフェの運営では、考え方に違いはありますか。
どっちかというと、音楽のほうが難しいですね。カフェは「水商売」といわれるように水を扱っているわけですが、音楽は空気でしょう。水よりも空気のほうがつかみづらく、ちょっとした感覚の違いで良し悪しが変わるんですよね。カフェなら経営しながらちょっとずつ改善していくこともできますが、アーティストの目指しているものは単純にお金儲だけではありませんから、成功を収めることは簡単なことではありません。