1977年、千葉県生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。2006年6月にground LLCへ参加し、同年12月にフリーランスとして独立。2007年、株式会社渡辺潤平社を設立。最近の主な仕事として、ユニクロ/「新チノ」「新カーゴ」、ウルトラライトダウン「あなたは、着てみておどろく。」、PSP/みんなのテニスポータブル「全員修造!」、ソニー/VAIO「FIND YOUR STYLE, FIND YOUR VAIO.」など。さらに現在、2012年4月にオープンを予定する大型複合ビル「渋谷ヒカリエ」内に設置されるデジタルサイネージのコンセプトワークやコンテンツづくりに携わるなど、注目度の高い仕事を数多く手がけている。
ユニクロのウルトラライトダウン「あなたは、着てみておどろく。」、進研ゼミ高校講座の走れ受験生など、いま話題のテレビCMや広告を多数手がけているコピーライターの渡辺潤平さん。「確実なメッセージを届けることに集中する」という渡辺さんが紡ぎ出す「言葉」は、どれもシンプルで記憶に残るものばかり。今回のインタビューでは広告業界を志したきっかけから、予備校生時代に過ごした「渋谷の街」の思い出、さらには現在進行中の大型プロジェクトである新商業施設「渋谷ヒカリエ」のコンセプトワークに至るまで、渡辺さんの広告に取り組む姿勢や、渋谷に対する思いをじっくりと語っていただきました。そして、後半では渡辺さんが考える「渋谷のキャッチフレーズ」も…。
--広告業界を目指したのはいつ頃からですか?
子どものころは電車の運転手になりたかったんですが、高校時代、部活帰りの総武線車内で見たマイケル・ジャクソン×PEPSIの広告をきっかけに、漠然と憧れるようになりました。今でいうトレインジャックというものなのですが、アルバム「デンジャラス」の告知ポスターが車内一面に貼ってあるのを見て、すごくカッコいいなって。それで大学は、マスコミ業界に強いと聞いた早稲田を目指しました。一年浪人してしまったのですが、その時間を利用して東京の街をぶらぶらしながら大きな看板や面白いビルボードをチェックしたり、広告に対する興味は尽きませんでしたね。
--渋谷に足を運ぶようになったのは、いつ頃でしょうか?
子ども時代の遊び場は地元の船橋「ららぽーと」で、東京へは御茶の水の予備校に通い始めた頃に出てくるようになりました。10万円の古着のジーパンや15万円のエアマックスが平気で売られているような、いわゆる古着ブームの全盛期で、古着屋やタワーレコードを目指して渋谷や原宿を巡っていました。当時タワレコの横にあったハーゲンダッツでアイスを買って食べるのが、ちょっとしたゼイタク、という時代でした(笑)。
--コピーライターになろうと考えたのは?
大学3年のときに、広告制作者を養成する「電通クリエーティブ塾」に通い始めました。当時はCMが花盛りで、タグボートを初めとして、面白いCMを作る方々がたくさんいらっしゃったので、塾へ通ううちにCMプランナーになりたいと考えるようになりました。博報堂に就職が決まったときも、「CMプランナーになりたいです」って言って入ったんです。ところが、いざ配属されてみたらコピーライターだった…。当時はちょっとガッカリしたのですが、今になって思うと、コピーライターという肩書きながらCMの企画に参加もするし、プロモーションの企画も考える。言葉を武器に人の気持ちに関わることを自由にやれるという意味では、すごく楽しい仕事だなと日々感じています。
--就職して携わった仕事で、一番印象に残っているものは?
入社5年目、地元・千葉ロッテマリーンズの仕事を機に「人とは違うコピーを書きたい」と自我がでてくるようになりました。プロ野球に参入したばかりの楽天との開幕カードの告知ポスターだったのですが、予算が少なく、撮影はできない。とにかくコピーで目立つしかなかったんです。そこで『東北に春が来るのは、遅い。』『地元ファンのためにも、初勝利はぜひ仙台でどうぞ。』など、楽天の歓迎ムードに冷や水を浴びせるような、強烈なメッセージをいっぱい書いてポスターにしたんです。これがウケて、駅や通路、球場内のポスター前が写真撮影をするファンでパニックに!このお仕事で「ここまでやっちゃダメかな…」と人が思う一線を越えたようなスリルを体感して、それ以来自分のやりたい事が少しずつ見えてきたように感じます。
--6年半で博報堂から独立しますが、その決心の理由は?
独立は早かったですね。きっかけは電通から独立された高松聡さんというクリエイティブディレクターとの出会いです。彼のダイナミックな広告づくりを間近で見て、一緒に仕事がしたいという思いで移籍を決め、高松さんが「世田谷ものづくり学校」に構えたクリエイティブエージェンシー「GROUND」に半年間籍を置かせてもらうことになりました。直感で一度そういう気持ちになってからは、ほとんど悩まなかったですね。博報堂ではいいスタッフと仕事ができて、仕事の質も上がってきていたのですが、「良い状態がその後やって来るかどうかなんて分からない。一番いい時に次のステップに移るのもチャレンジングでいいな」と。今思えば薄っぺらい自信でしたが…(笑)
--独立して丸5年、渡辺さんご自身が満足する代表作は生まれましたか?
最近だと、日本中の人がダウンジャケットを着て「軽い!」っていうユニクロの「ウルトラライトダウン」のCMや、高校生たちのハートに火をつける、進研ゼミの高校講座「攻!」キャンペーンなど。あとは自己紹介のとき一番ウケがいいのはPSP「みんなのテニス ポータブル」のCMコピー「全員修造!」。松岡修造さんをキャラクターに起用した広告は、凄まじい評判を呼びました。ここ1、2年で、これまで仕事をしたことがなかった方々との出会いもあり、自分の作品集が一気に入れ替わるぐらい、納得いく仕事ができているような気がしています。
--幼いころから言葉に対するセンスは良かったほうですか?
自分がクラスで抜群に面白い人気者だった記憶はありません(笑)。ただ子どもの頃から「ロマンチック過ぎる」とか「説教くさい」とか「小難しい」ものが好きではなかったかもしれません。自分にとって面白いものを追求しながら、なるべく簡単に確実にメッセージを届けることに集中した結果が、今の自分なのかもしれません。
--ついにはマイケル・ジャクソンさんの追悼作品も手がけられましたね。
マイケルの広告をきっかけにこの仕事を志しましたし、高校時代にはバスケの朝練に向かうときにウォークマンでずっと聞いていました。その前に担当させていただいたユニコーンの再結成時の広告もそうなんですが、いつも不思議な縁の強さがあって…。大ファンだったり、ユーザーだったりする商品のお仕事にお声がけいただくことが多いんです。今回の渋谷ヒカリエもですが、僕は一人暮らしを始めてからずっと東急沿線に暮らす「東急っ子」なんです(笑)。仕事の巡り合わせの強さが、ひょっとしたら僕の生命線かもしれません。