BUNKA X PERSON

■インタビュー・コラボレーションって、新しい価値観を生み出さないと意味がない
・元をたどっていくと、どうしても手塚さんのところへ行き着く
・モノ作りの醍醐味を知って、就職活動をしている場合じゃなくなった
・企画は、みんなが興味を持たないものを、興味を持つように加工すること

■プロフィール梅中伸介さん
1976年生まれ。青山学院大学在学中に、学外の学生サークル『創海』に参加。メンバーとともに、同世代の自殺問題に学生の視点で切り込んだルポルタージュ『遺書』を制作し、メディアでも多数紹介され、5万部の売り上げを記録する。その後、編集プロダクション「verb」を設立。若さと経験を生かし、「R25」(リクルート)、msnウェブマガジン、「MORE」(集英社)などでのコンテンツの企画・編集・制作活動を行っている。著作に、『遺書』(2000年/サンクチュアリ出版)『訴えてやるっ!たった一人の裁判奮戦記』(2007年/扶桑社)などがある。

モノ作りの醍醐味を知って、就職活動をしている場合じゃなくなった

--編集・ライティングの仕事を始めたきっかけは?

大学の頃、僕はサークルも入っていなかったので学校にも馴染めなくて、どちらかというとつまらない学生生活を送っていたんです。大学3年になる頃、ちょうどすごい就職氷河期で、このまま卒業したらやばい、面接で「学生時代に何やってきましたか」って聞かれたらどうしようって、急に焦り始めました。そんな頃に「何かしなきゃ」って、ラジオ番組やイベントの企画などをしていた学生サークルに入ったんです。そこに出版社でバイトをしていた仲間がいたので、「一緒に本を1冊作ってみよう」と企画したのが『遺書』という本でした。『遺書』は、大学生の自分たちと同世代である若者の自殺をテーマにしたルポタージュです。実際に自殺で亡くなった方の遺族に会いに行って、家族に残された遺書に対する返信の手紙を書いてもらうという内容だったのですが、現役大学生が作ったという話題もあってTBS「ニュース23」をはじめ、様々なメディアで取り上げられました。結果的に5万部ほど売れて、500枚とか600枚とか、ものすごい数の感想の手紙が全国から届いたんですよ。当時、僕は既に大学4年で就職活動もしてたんですが、そんなことをしている場合じゃないなと。初めて作った本を、5万人の人が読んで、「感動しました」「買ってよかったです」って手紙が届いているのに、「それは学生時代のいい思い出で・・・」と終わらせてしまうのは、すごくもったいないと感じました。モノを作るときの一番の醍醐味を経験して、もう就職活動してる場合じゃなくなったというか、今後も出版という世界でモノを作って読者に届けていきたいと思ったんです。

--それをきっかけに編集プロダクション「verb」を立ち上げたんですか?

そうです。だから、ああいう自殺を扱った本を持って『東京ウォーカー』とか『ぴあ』とか『Hot-Dog PRESS』とか、もう全く関係のない情報誌にも営業しに回って1個1個仕事をもらって、気が付いたら10年経っていたという感じですね(笑)。

企画は、みんなが興味を持たないものを、興味を持つように加工すること

--verbは平均年齢24歳。若い人たちが集まっていますね?

僕自身、たまたまこの世界に入れたと思っているんですが、多くの若い人たちは編集や出版業界の仕事がしたいと思っているのに出来ていないわけじゃないですか。だから会社立ち上げから5年くらいは、「働かせてください」という人がいたら基本的に全員入れていたんです。とにかく「やりたいなら、やってみる?」というスタンスで。ほかの出版社やプロダクションは経験者じゃないと働けないところが多かったりするんですけど、僕自身も誰かに教えてもらって原稿を書いてたわけじゃないですからね。とにかくやりたいならやってみて、駄目だったら辞めればいい。あるいは周りから「あなた向いてないよ」って思われたら、それは本人の負けだから辞めていくしかないし、そういう人には仕事が回ってこないので自然と辞めざるを得なくなっちゃいますけどね。やりたくて来るんだったら仕事も世話するし、ある程度教えます。けど、面倒をみるっていう意識はないですよ。仕事は自分で考えて身に付けていくものだと思っているので、だからverbを勝手に利用してくれればいいし、うちも頼みたい仕事があったら利用させてもらう。それぐらいのドライな感じですね。

--『遺書』『訴えてやるっ!- 知識なし金なし弁護士なし たったひとりの裁判奮戦記』と、2作を執筆されていますが、本を作る時の梅中さんの興味というのは、どんなところで生まれてくるのですか?

自分ではあまり意識しないんですけど、これまで自分が考えた企画を振り返ると、ちょっと硬い話題や、裁判ものが多いんですよね。でも、僕はジャーナリストになりたいとかいう意識は全くありません。むしろ『遺書』も『訴えてやるっ!』もエンターテインメントとして書いているつもりです。みんなが興味を持たないものを興味を持つように加工するというか、演出の仕方を変えたりして、分かりやすくしてあげる。柔らかいものを柔らかく見せるのは普通じゃないですか。みんなが知りたいような経済の話題とか、難しいけど知ってみたいようなものを分かりやすく伝えてあげたりする方が、需要があるし、やりがいがありますね。

--今後のご予定は?

ボランティアとかバリアフリーをビジネスとしてやっている方がいて、いまはその人の本を企画しています。いわゆるボランティアとかバリアフリーって、「福祉」のイメージが強いじゃないですか。でもその方は、ご本人も車イスなんですが、例えば段差をなくすことで今まで以上にお客さんが来るようになるということを、よりビジネス的な視点から提案しているんですね。「単に人に優しくするためじゃなくて、ビジネスとしても段差をなくした方がいいよね」みたいな考えの人で、それはすごく共感出来る部分なので。いまはそういうビジネス書を作りたいなと思っています。

あと、verbはいわゆる制作会社で、基本的には媒体の依頼で仕事を受けることが多いんです。「今度こういう雑誌で、こういうページで、こういう企画をやるんで手伝ってください」っていう感じで。それはそれでいいんですけど、せっかくものを作るスキルやアイデア、文章力を持ってるんだから、やっぱり自分たちが発信となる企画というか、本に限らず、自分たちがいま面白いと思うものをどんどん出していきたいなと。最近は、意識して社内で定期的に企画会議も開き、徐々に実行に移しているところです。

事務所のある渋谷2丁目はいかがですか?僕は青山学院大学に通っていたんですが、2丁目はずっと往復してたところなんで、親しみがありますね。2丁目周辺は青山に近いから、渋谷の中でも落ち着いてるところだと思います。宮益坂を下りればいわゆる渋谷の喧騒があって、反対に行くと青山で大人の街になるという場所ですから。事務所を構えてからは、僕にとっては使い分けができるというか、スタッフと飲むのは渋谷の方に、知り合いと食事だったら青山の方にと、すごく使いやすい場所ではあると思いますね。2丁目にはいわゆる渋谷じゃない空気を感じています。

渋谷の街の印象は?高校生の時に買い物で来るようになったのが渋谷との最初の関わりです。まだ当時は「チーマー」なんかがいた頃で、ちょっと危険な香りがしていました。だけどファッションの街でもあるし、僕は音楽に興味があったんで、レコード屋さんにもすごい憧れましたね。まだHMVとかタワーレコードが宇田川町にあって、センター街の奥の方にはWAVEもありました。そういうところに行かないと買えないCDもいっぱいあったんで。渋谷は「ファッション」「音楽」など、興味があることが全部詰まった場所でした。今の事務所を渋谷にしたのも、渋谷が便利で、なおかつ刺激的な文化がある場所だから。便利というのは仕事でのアクセスがいい点と、会社のみんな住んでるところがバラバラでも集まりやすいということ。文化がありながら、アクセスが良くて大きな街って他にはないと思います。ただ、最近僕も年齢が上がってきたんで、もうちょっと静かに食事したり飲めるところが増えればいいですね。探せばあるとは思うんですけど、ほかの街よりはちょっと目立たなかったりしますよね。

verb

出版経験のない若い世代を積極的に採用する編集プロダクションverb。経験よりも「情熱」や「感性」を尊重し、同じ世代の読者へ向けて、同じ視点で社会を捉え、主に雑誌・単行本・ムックの企画・編集・制作を中心に活動している。

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