■ Heading- Tree-lined street has changed from "willow" to "Sakura"
- Theater and planetarium also ──. Sakuragaoka town reborn
- Ardent fan often Shibuya only authentic jazz cafe
· Musical instrument store and live house scattered throughout the town, music salon ...
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楽器店やライブハウスなどが多く、楽器を持った人々が通りを行き交う桜丘町は、音楽を身近に“体感”できるエリアでもある。渋谷で唯一のジャズ喫茶、さらにはハワイアンバーをはじめ、“通”に愛される音楽関連の飲食店も少なくない。街中で奏でられる優しいリズムに耳を傾ければ、この街の奥深い魅力が見えてくる。
1960年代から70年代にかけて大流行したジャズ喫茶。輸入版のジャズのLPが高価だった時代に、コーヒー代のみで高音質のジャズを聴けるとあって、若者のたまり場として、どの店も大繁盛だった。当然、若者の集まる渋谷にも沢山のジャズ喫茶があったが、現在、残るのは桜丘町にある「渋谷メアリージェーン」のみ。どうしてジャズ喫茶は時代とともに姿を消したのか。マスターの松尾史朗さんに聞いた。「お店を30年以上維持した先代のオーナー福島哲雄も言っていましたが、80年代に入るとジャズそのものにエネルギーがなくなってしまった。そして音楽の楽しみ方は多様化し、よりパーソナルなものへと変化してきたので、店に集まってコミュニケーションを交わしながら聴くスタイルが好まれなくなったのでしょう」。
渋谷メアリージェーンの開店は1972年。松尾さんはその数年後から客として通い始め、80年代には「雇われ店長」も任された。その後しばらく離れていたが、今から3年前に以前のマスターから、松尾さんに引き継がれることに。「この店には客として訪れたかったから、ホントは断りたかったのだけど。潰してしまうのは残念だと思いましてね」。
ジャズにとらわれないスタイルを追求
かつてのジャズ喫茶といえば、地下や屋根裏などに店を構え、照明は暗め、コーヒーには気を遣うものの、その他の飲み物や食べ物は二の次という店が多かった。だが、渋谷メアリージェーンは、窓からの日差しが明るい二階にあり、飲食ともにメニューを充実させ、さらにインテリアや食器にもこだわるという、当時としては少し異質なジャズ喫茶だった。「だからこそ、生き残れたのでしょうね。あまり凝り固まらずに、『食事や喫茶が目的で来店し、気付いたら良い音楽が流れていた』という感じで良いと思っているんですよ」。
音楽もジャズにとらわれずに、「ジャズ的」と感じれば、ジミ・ヘンドリックスやボブ・マーリーなども流す。そんな柔軟なスタイルに熱烈なファンは多く、30年来、通い続けている客も少なくないという。「店側はルールを決めず、お客さんの思い思いに楽しんでもらいたいですね」。今日も桜丘町の一角では、そんな松尾さんの思いの詰まったジャズサウンドが軽快に響き渡っている。
渋谷メアリージェーン |
さくら通りを少し上がり、焼き鳥屋や飲み屋が連なる長屋の一角で営業するハワイアンバー「あわしま」は、まさに“音楽サロン”とでも言うべき店。店内には沢山のウクレレやギターが置かれ、お客さんがそれらを手に取って演奏や合奏を楽しむこともしばしば。学生時代から会社勤めと並行して音楽活動を続けてきた店主の野村さんは、「音楽とは音を楽しむもの。楽器はそのための道具」との気持ちから、気軽に演奏の指導や楽器の修理にも応じている。元々は1961(昭和36)年より野村さんのお母さんがお店を経営していたが、3年前に体調を崩して野村さんが引き継ぎ、現在の形態になったという。
常時、店で流しているハワイアンミュージックは外にも聞こえるため、興味を持って入店する人も多いとか。「ハワイ旅行から帰ったばかりという若い女性が一人で来店し、話しているうちに『ウクレレを習いたい』ということになって。その後、通い詰め、かなりのレベルまで弾けるようになりましたよ」。店のある一角には、今でも「桜丘飲食街」という看板が残るように、かつては料理屋やスナックなどが50軒近くも連なる飲食街だった。それが区画整理などによって現在も営業を続けるお店は5軒のみとなっているが、その長屋風の建物は往時の雰囲気をそのまま残している。
--音楽の多層構造が存在する街
桜丘町を歩くと、ギターケースをはじめ、楽器を持った人と、たびたびすれ違う。それもそのはず、このエリアには、1983(昭和58)年に桜丘町に最初の店舗をオープンし、現在は町内だけで13店舗を数えるイケベ楽器店をはじめ、KEY渋谷店、宮地楽器など、楽器ショップが非常に多い。さらに音楽雑誌の出版や野外フェス『ロック・イン・ジャパン・フェスティバル』の企画制作で知られる「ロッキング・オン」、サザンオールスターズや福山雅治などミュージシャンが多く所属する芸能事務所「アミューズ」、「ヤマハ」といった音楽関連企業のオフィスのほか、見逃せないのが数多く点在するライブハウスの存在である。
1FにBARスペース、B1Fにライブスペースを備えるライブハウス「TaU Kitchen」の店長・鷲山信司さんに話を聞いた。「うちのグループは、たまたまなのですが『shibuyaDESEO』『club乙-kinoto-』も含め、桜丘町エリアに3つのライブハウスを展開しています。渋谷の他のエリアとは違って、代官山に近いこと、住宅街にあることから客層も落ち着いているような印象を受けますね。ジャンルもハードなものよりも、歌ものが多い」。「TaU Kitchen」は若手の登竜門の箱として位置づけられ、「ここからステップアップして、将来のスターが生まれて欲しい」と鷲山さん。つまり、桜丘町は音楽業界という山の頂から、次のスター夢見る若きバンドマンという裾野、また純粋に音楽を愛するファンに至るまで、音楽の多層構造が存在する街なのである。
耳を澄ませば、どこからか音楽が漏れ聞こえてくる──。そんな桜丘町でお気に入りの音楽を探す散策を楽しんでみては。
あわしま 住所:渋谷区桜丘町16-10 TEL:03-3461-6855 |
桜丘町にセスナの機影?「Googleマップ」を使って桜丘町の空撮地図を見ると、ヤマハエレクトーンシティの隣にくっきりと飛行機の機影が映っている。実はここは、「東京工業専門学校」の屋上。なぜ飛行機がこんなところに?ということで、事務長の野宮安彦さんにお話を伺うと、「このセスナ機は、以前設置されていた『航空工学科』の実習教材として使われていました。今では学科が『機械・航空・自動車科』と一つに統合され、使う機会が少なくなってしまいましたが、現在も置いてあります」とのお返事。実習では実際に操縦室に乗って操縦桿や計器類を触ったりすることもあったそうだ。「現在では、こういうセスナ機が使われるのは主に遊覧目的ですね。翼が胴体よりも上に付いているので、地上の見晴らしがよく、眺めがいいので人気がありますよ。」
多彩な専門学校の集まる場所桜丘町は専門学校の集まる場所でもある。花田学園(鍼灸・マッサージ)、青山製図専門学校、日本デザイナー学院(グラフィックデザイン)、ビジョナリーアーツ(お菓子・ペット)、東京情報ビジネス専門学校、日本写真芸術専門学校など、新旧様々な専門学校がひしめいている。「桜丘町はセンター街方面とは違って静かな雰囲気で落ち着いていますから、勉強に集中しやすい環境なのではないでしょうか」と野宮さん。「現在、当校では自動車整備科と情報処理科の人気が高くなっていますが、設立当時は航空工学科も盛んで、生徒たちもいわゆる『飛行機野郎』が集まっていたんですね。多いときで一学年に70名ほど在籍していた頃もありました。卒業生は空港や航空機関連の会社で活躍する方も多いようです。」自身も大学で航空工学科を専攻していたという野宮さんは笑顔で語ってくれた。
東京工業専門学校 住所:渋谷区桜丘町8-24 TEL:03-3463-4111 |
[KEYPERSON] Sumio Matsuzaki (Amuse Inc President and CEO)
"Sakuragaoka town" around Culture facility